始まりがあれば終わりもある
終わりがあれば始まりもある
故に
終わりなければ始まりもない
原発は半世紀前「トイレのないマンション」のような建設で始まり
その放射性ゴミのトリチウム(三重水素)は毎日海に流され、
それ以外の放射性ゴミは世界中どこにも捨てられない物質として 安全になる10万年~100万年どこかに保管しなければならなくなっている。
途中 日本は原発事故で数百万人の被害者を出しながら 故郷から追い出されたが帰るあてもない。
日本与党はそうした現実を無視して再稼働し輸出までしようとしている。
トイレのないマンションに便を垂れ流しながら 次々とトイレのないマンションを建設し また便を垂れ流し、
事故で便が溢れてしまうと 海外にトイレのないマンションを輸出している。
それは危険な生物兵器を開発するが その生物を無害化する技術もなく 使用してしまい その事故にあって自国もその危険細菌に犯されにっちもさっちもいかなくなっているようなものだ。
どんな生物兵器もそれが無害化できる薬も同時に開発されなければ使用もできないので開発されたとはいえないように
原発ゴミを安全に無害にする技術なしに原発を開発し建造したことにはならないし、まして稼働させたら 人類に電力の恩恵を与えるどころか、人類末代まで遺伝子レベルで自滅させてしまうことになる。
もう二度と原発事故による被害を出さない最良の安全策はもう二度と再稼働することも輸出することはしないことである。
原発事故の終わりは原発再稼働の終わりでもある。
もし原発再稼働すれば原発事故もまた始まり 被害はさらに広がることになる。
原発はいわばトイレのないマンションという欠陥住宅であり、そこに住むこともできなければ 取り壊して廃炉にするしか道はない。
終わりがなければ始まりもない
終わりが見えなければ始めてはならない。
そして すでに作ってしまった放射性ゴミと原発そして拡散された放射性物質を
人類が100万年の存続をかけて
海底地下数百メートルに保管管理することから始めなければなるまい。
その間人類は放射性ゴミを安全に無害化技術を発見できるかもしれないし、その無害化技術を研究する努力はけして終わりにしてはいけない。
物事には始まりがあれば終わりがある
事に当たって
終わりなきものは始めてはならない!