土曜のBSテレ朝の新番組「奇跡の地球紀行」ブータンを観たが・・
小麦粉とバターで練った人形に悪霊を閉じこめ、それを燃やして仏様に捧げる儀式があった。
その際、神様に祈りを捧げる賽銭のような意味で 紙幣も一緒に燃やして仏に浄化してもらうことを知った。
オカネを燃やして神仏に捧げるなんてことは世界でも珍しく
それはまさに腐るオカネ・減価する貨幣を象徴するようなものである。
イエスは
「皇帝に税金を納めるのは正しいことですか?」という問いに
(銀貨に刻まれた皇帝の肖像を指して)
「これは誰の肖像と銘か?」
「皇帝のものです」
「皇帝のものは皇帝へ 神のものは神に返しなさい」と答えた。
貨幣は血液のように身体全体を循環して命を保つようなものであり、
もしオカネが循環しないで 滞ってしまうと 不景気になり 経済は病的に悪化する。
今の貨幣は貸し借りを基本とする信用貨幣(債権)となっており、返済されない債権は紙屑となり、燃やされたり捨てられたりする。
イエスが言うように
オカネはその発行者に最終的に返還することで 循環し 価値を維持することができる。
腐るまた減価する貨幣はいわば燃やせる貨幣であり、燃やした貨幣分の額を発行者はまた印刷製造することができるということで循環するシステムである。
現貨幣システムは貸し借りで増価する貨幣であり、返済されないリスク分を上乗せした利息分で増加するが、
元金も返済されないと不良債権となって紙屑になるか、発行者の日銀が新たに紙幣印刷製造して不良債権を買い取り
信用を回復させて循環させていくものである。
つまり
どんなオカネも発行者と使用者全体で循環しなければ意味がなくなるものだ。
ブータンにおける賽銭を燃やす儀式は悪霊が好きなバターケーキやオカネに取りつかせて それを燃やし 仏様や貨幣発行者に返還し 循環浄化する行いといえよう。
仏教における悪霊とはものの執着心である。悪霊に取りつかれた人とは 甘くて美味しいケーキばかり食べて肥満になったり、金儲けにこだわり、ギャンブルばかりした浪費生活になってしまうような人のことである。
カネは天下の回りものと言われるが
カネは天下の回りものでなければ何の価値もなし
であろう。
ブータンは日本と同じ火葬であるが 生まれ変わりを信じるが故に先祖の墓はない。
火葬された遺灰は聖地に持っていき播かれ、仏の元に返して清めてもらう。
命もオカネのごとく、また神のものは神へ 仏のものは仏へ 返して また新たに生まれ出る循環によって その価値を持つのだろう。
先祖の名も生まれ変われば新しい名が付くので 名前や家にこだわるのは執着心であり、悪霊に執りつかれ 不幸になるようなものだ。
日本も先祖の墓を作らず 自然葬として 海に播いたり、桜の木の下に播いて自然に戻す埋葬方法が流行ってきている。それが余計な世俗的なこだわりや執着の問題に巻き込まれて不幸になるよりは 流れる水のごとく幸せな気持ちにいられるコツであろう。