映画でも 現実でも
何事も 最終的解決方法が命を奪うことになっていることは愚かで空しい。
宗教や法律の解釈により、残酷な殺戮行為がおきている。
十代の頃 宗教的生き方に憧れていたときに
「戦わずして生きるよりも 戦って死ね」という言葉を信念にしていた。
老年になった今 それが間違った信念であり、その信念は解釈によっては残虐な危険行為を起こさせると思える。
アメリカ映画は勧善懲悪が多く、悪人はバンバン殺してこそ世の中の平和と幸福が保たれるという信念が底辺にあり、
善人は悪人と戦かわずして生きるよりは 戦って死ねという宗教的な信念と共通している。
こうした善悪が命よりも重要視されることは根本的な間違った思想であり信念である。
なぜなら
命あっての善悪だからである。命がなければ善悪なんか空しい限りである。
命は善悪を超えた最も大切な宝であるからだ。
宗教における神仏は善であり、悪魔や修羅は悪であり、
神が人の命を創造したり破壊したりすることを受け入れていること自体馬鹿げた信仰である。
この神が天地創造したという信仰は善が命よりも大事にしなさいという洗脳教育であり、この世の現実とは合わない空虚な論理である。
人の命なくして神仏はない! 命なくして善悪など空しきこと!
神仏や善悪よりも 人の命を大切にする思想や信念がこれからの時代を平和へと導くことができるだろう。