魂とか霊とかいうものを 何か見えない肉体のような個人の姿と勘違いしている。
人が死ぬと意識がなくなる。意識があるかないかで 人の生死を判断する。
それはつまり意識が生死を判断するものであり、死んでも生き続ける意識が確認されれば その人は生きているともいえることだ。
例えば
故人の夢はその人の意識として確認でき、家族がその夢を引き継ぎ実現させることだってできる。
故人は生前の夢という意識の中に魂や霊として生き続けているともいえるのである。
また夢とか理想は共有できるものであるから、魂や霊も個々人というよりも自他一体感としても実感できるものでもある。
私たちの肉体的差はほとんどないが その意識の違いは大きいものである。夢や理想は意識の中に創設されるからである。
「骨を残すな 生き様を残せ」
という言葉があるが
生き様はその人がどう生きたか?であるが それはまたどう生きていくか?でもある。
つまり、生き様というのは その人がどんな意識を持って生きてきたか、生きていこうとしているかであり、その人の夢とか理想の姿でもある。
「骨を残すな 生き様を残せ」をこう言い換えることもできる
「骨を自然に帰し 夢と魂を残せ!」