自然はタイミングで決まる

6月に入った今、

麦の収穫と稲の苗植えの時期を待っている。

この麦と稲の交替のタイミングによって、麦も稲も生かすか、殺すかになる。

雑草は春夏秋冬と自然に交替して生育しているが、

麦と稲は人間の手を借りないと自然に交替できない。

麦が枯れて自然に稲が生えて育つことはないからだ。

麦と稲の交替を自然にさせるためには人間が麦の収穫と稲の苗植えのタイミングが重要になってくる。その時期は年に一度しかないが、麦の枯れ具合と稲の苗の育ち具合で決められる。交替時期に土の耕し肥料あげ雑草除けのマルチシートの設置もしなければならない。そうした時間も考慮して6月中に一気にやってしまう必要がある。

この人間による自然交替のタイミングは年に一度であり、またその実施日も麦と稲と土天候の状況によって決断しなければならない。

人が生まれるのは奇跡であり、それは宇宙時間における一瞬の煌めきである。

人の自我もまた自然が交替する一瞬のタイミングのようだ。

自然はタイミングで決まる
自然は待ってくれないし、また待たねばならない
行うタイミングはその時しかない
それは自分の一生の輝きの瞬間のようでもある
自我が生まれ決めていく一生はまさに自然のチャンスであり、タイミングでもある

自己存在を自然の変化のタイミングとして捕らえると

自己を生かすも殺すも その行いのタイミングで決まってしまうといえよう。

 

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