天職とはすでに自分が置かれた環境状況のことである

やりたいことに才能があるとは限らない
やりたいことに才能はむしろない方が多い
「やりたいこと」とは「欲望」のことである。
自分のやりたいことをやって生活できる人はわずかだ
才能とは何か?
それは天から与えられたその人の能力であり、いわば天職である。
天職は一生かかって見つける場合もあるが、
天職とはすでに自分が置かれた環境状況のことである。
両親がどんな職業をしているか、どんな財産を持っているか、
どんなことを学んだか、どんな人と結婚したかしないか
そのした働かねばならない環境において、どう生き抜いていくか
その道のことである。
欲望とは身体が痛いと感じるときに、痛さを緩和しようとする行為であり、
苦しいと心が思う時に、その苦しさから開放されようとする行為でもある。
すなわち、環境が欲望を造るのである。
一人で寂しいときは愛する人を求める
戦争しているときは平和を望む
生活が苦しい時 収入のいい仕事をしようとする
自分に置かれた状況をさらに自分が心地よい方向へ持っていく力が才能であり、
それが本当の欲望であり、天職である。
やりたい欲望に才能がないという場合は
自分におかれた状況から逃げてしまった時におこる一時的な欲望である
人は生まれながらにしてみなちがった環境と状況が与えられる
それは一生のどの時点でも同じであり、働かざるをえない状況におかれたときにもそういえる
それからはけして逃げることはできない、天から与えられた自己環境はありがたく享受するしか生きる術はないのである
それは人は生まれながらにしてすでに天職を与えられており、生きる道が与えられているということである
そこから逃げることはできない、直面し、そこに向かって次ぎの時代へと切り開いていくのが「本当の欲望であり、
本当にやりたいことである」
実際、私が65年間生きてきて、
自分がやりたいことがやらざるをえない先にあったときはうまくいかず
自分のやりたいことがやらざるをえない後にあったときにうまくいったことがほとんどであった。
親の遺産をうけた後にその仕事をやれば生活できたが、自分からやりたい事業便利屋をしてきたが結局廃業に追い込まれて失敗してしまった
自分のやりたい仕事に、生活能力はなかったことが30数年たってわかったことである。
自分に与えられた仕事をさらによくしようとした時に生活能力が開花して、こうして生き抜くことができたように思える

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