生死の橋渡しをするゴリラ便の再興

ゴリラ便再興1

なにも便利屋というビジネスを再起するのではない。

便利屋そのものはSNSを用いた人材派遣のようなWebにしか生きる道がないだろう。

つい先日年末の30日にゴリラ便の仲間であった宇野さんが亡くなった。それもうつ病による死という形をとって密葬という形をとった。

この衝撃は数年前の同じゴリラ便仲間であった小川さんも、突然自ら死を選んだ。

ゴリラ便業務とは別に 青山圭秀著「理性のゆらぎ」でよく知られた サイババの講演を随時翻訳したホームページ「サイフォーラム」を宇野さんの英訳を私がアップしていた。のち、サイババの名言集を翻訳してくれたのが小川さんである。

「サイフォーラム」はパンダ笛吹著「裸のサイババ」の影響によって、のち閉鎖した。活動期間は10年間くらいあったが、共に活動した二人を自殺という寿命を全うしない形で迎えたことの衝撃はあまりにも大きい。

今年の目標を突如変えさせるような「命のバトン」がされたように感じるのである。

宇野さんが清岸寺の僧侶になったのは、私が大正大学の学生であったとき、国際仏教研究所(IBI)の先輩であった原口さんが住職をしている清岸寺を紹介したからである。

その原口住職の本葬をつい二か月前線香をあげてきたばかりで、その時、宇野僧侶とじっくり話をしようとしたが、そこに参列した数は数千人であり、宇野僧侶はその対応に忙しくて とても声をかけることも、眼を合わせることもできない状態だった。他の参拝者も同様だったみたいで、焼香が終わり、清岸寺の門で ウロウロしていた。

宇野さんと原口住職のことや今後の活動について じっくり話せなかったことが心残りだった矢先の宇野さんの突然の自殺死であった。

 

最近、イケメンゴリラで有名になった「シャバーニ」が、申年になって、サルに近いゴリラがまたブームになってきた。なぜか 数年前から、元ゴリラ便のメンバーがSNSで集まりだしており、このシャバーニがゴリラ便の活動にさらに拍車をかけさせていた。

突然、あるアイデアが閃いた。

あの世とこの世を繋ぐ架け橋をゴリラ便でやってみようではないか!?

当の私も 65歳の年金暮らしになり、先に逝ってしまった小川さんや宇野さんがいるあの世に逝くのもあと10数年というところが通例であろう。その間に、生死の架け橋を作っておかないと、私も輪廻転生できなくなる。

世界は今イスラム国のように、その信じる宗教神によって、平然と人の命を抹殺している地域だってある。人の命の方が神より重要でないという 主客逆転現象が起き、まるで戦国時代や世界大戦時代に遡って 平和への進化とは逆に退行している。

人の命をどんな神仏よりも優先して大事にすることが、急務になっている時代である。

それは、葬式でも言えることで、亡くなった人よりも、その人を慕う家族や友人、今生きている人を大事にする時代になってきたことだ。伝統的な葬式だって、新しい形の葬式に変わっていくことが 人の命をどんな亡き仏より大事にする意識革命が必要である。

お墓についても、私は長年両親の遺骨をどうするか悩んできたが、最終的に私は骨を細かく砕いて小さくして、仏壇の中に納める形にしている。そして、砂のようになった両親の骨(砂骨と命名してもいいかもしれない)を、日本のお清めの塩やヒンズー教におけるビブーティー(聖灰)のように、お守りやお清めの儀式に利用している。それらは最終的に分骨 散骨できる形になり、自然に大地や海に消えていくようにしている。

こうした新しい埋葬法と合わせて、新しい形の葬式を提案する事業をしたらどうだろうか?

ゴリラは絶滅危惧種である。人類がサルから進化して生き残っているが、同じサルから進化したゴリラは絶滅へと退化している。今の人類はゴリラと同じように、絶滅危惧種になる可能性があるように思える。宗教や国や人種の違いによる殺し合いや原爆のような自滅兵器や原発のような自滅企業が増えているからである。

人類が絶滅した恐竜や絶滅危惧されるゴリラに学んで、この地球に生き残れるように、どんな神仏 どんな正義よりも 1人1人の命を最も宝として大事にする進化が急務である。

「ゴリラ」が人の生死を繋ぐ象徴としては適している、そして、生死の橋渡しをする宅配便という「便」もなにかしっくりくるではないか。

 

 

 

 

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