ベーシック・インカムの主旨を読んで驚愕した。
それは労働と収入を関連づけるところに問題があるという指摘である。
私はこれまで理想としては、「働いただけの収入は得られるべき」という思いこみをしていた。
昔から、「働かざる者は食うべからず」という倫理観が厳然とある。この倫理観が根底からくつがえされたのだ。
そして、長年の疑問だった、「どうしてこんなに働いているのに最低の生活費さえ、世間は与えてくれないのだろうか?」
という疑問が解決された瞬間でもあった。
また、世の中に対して必要なよいことをするボランティアはどうして世間も政府もお金を出してくれないのだろうか?
その疑問も解決された指摘なのである。
それに、長年、便利屋をし、それを、時間交換の会のwebにして、労働と収入の公平さと、その交換を実現しようとしたが、まったくうまくいかなかった。
その原因がはじめて理解できた感じがする。
この労働と収入は関係ないという視点は、貨幣自体にもみられるのである。
それがモノとサービスを交換する実体経済と、お金がお金を生み出す金融経済とは調和できないし、それらは別な経済であり、それを関連づけるところに多くの問題ができてしまったという指定と同じ観点がベーシック・インカムの主旨である。
これは今までの固定観念がぶちこわされた衝撃だった。
ヒロタカズマさんが私に教えてくれたベーシック・インカムの衝撃と同じものだったように思う。
最近、お金がない友人が株の売買に手を出した。それがどうにも不思議でならなかった。
不景気のときほどギャンブルがはやるというのは本当のような気がする。
でも、今その疑問がとけてきた。今では老人や主婦や学生にも、株やFXで少ないお金でお金を儲けようとしていることも理解できてきた。
まともに働けない環境、いやまともに働けたとしても、最低の生活費が確保できないからだ。そのため、お金でお金を稼ぐことが唯一生活を支えることができると思ったからだろうと想像できた。
それに、毎月莫大な収入がある人は、まともに働いてそれだけの収入が得られるのではない。そのほとんどの収入源はお金でお金を生み出す金融経済からである。
ベーシック・インカムがどれほど有効化を調べるには社会保障の先進国である北欧の一人当たりのGDP(国内総生産高)の上位を独占していることからもわかるはずだ。
こうしたデータからも、労働(生産)と収入が一致していないことを教えてくれる。
無償の奉仕がどうして可能なのかもまた理解できることになった。
地域通貨を進めようとする原点は、無償のボランティアではなく、有償のボランティア(NPO法人化)であることの方が有効だと思われた。
しかし、実際は無償のボランティアの方が地域通貨よりもはるかに活動的なのである。こうした矛盾をも解決できる、基本的観念こそ、労働と収入を分離して考えるベーシック・インカムの社会保障理念である。