◆公私とは
私の生死は人類からみれば一個の命の生まれ変わりである。
それは 私の死は新たな私の生となることだ。
人類は一個の私からみれば公であり、公からみれば私が生まれ変わるとするならば
逆も真なりで
私からみれば公も生まれ変わり、公の死は新たな公の生となる。
つまり、
公は鏡に映った私である。
私がなければ公もなく、公がなければ私もない。
私は実存しているが、
公は虚像であり、見える姿は左右逆である。
◆公とは
公とは人間の私が集まった社会、国、世界であり、
目的を共有する似たもの同志の集まりでもあるが、一個の私のようには実存していないが、
鏡に映った私の虚像として見ることができる。
公としての国を私のような一家族としても見ることで、国の現状を理解しやすくなる。
◆日本の家計簿を私のレベルで見ると・・平成28年2月財務省資料から・・
これを私の家計レベルにすると
これは実質経済の一般会計からみた家計だが、もっと大きな金額である金融経済である特別会計をみてみると、
歳入と歳出のバランスシートが同額でなくなるという可笑しな数字になり、また、どう考えるかによって、その数字が大きく変るので、まさに、幻想的な会計の世界である。
そこで、平成26年度の歳入と歳出の決算した、一般会計と特別会計でその大まかな姿が見えてくる。
一般会計と特別会計を合わせた歳出がほぼ全体像がでている。
これと、一般会計の歳出と比較しながら見てみると
我が家の家計が月30万だとすると、別に45万円で、貯金や借金をして、株式や外国為替でお金のやり取りをし、その収支を合計で75万円でやっていることになる。
公は鏡の中の私なので、左右が逆であり、歳入と歳出は実際は逆になる。
国債の中身をみてみると、
90%は国内の日本国民から借りているので
公という政府に国民である私は貸している立場であるといえる。
社会保障費を出している政府は国民に年金や医療を受けている私のような国民にとっては受け取っているので、歳入になる。
債券を株式にするだけで、企業は借金で苦しむことなく、思い切った事業ができるようになる。
国も、国債を株券にして上場して売買できるようにすれば、
国民にたいして増税することなく、
政府も借金で苦しむことなく、
今までの税収の多くを国債返済に回すことなく、社会保障費に回すことで、
すぐに解決できる会計内容にみえる。
つまり、国債は国民の投資先にし、国民がその株主になることで、
政府の仕事を監視し、政府大臣をも首にすることもできる権利を持つことができるようにすることだ。
いわば、日本政府を日本株式会社化(日本法人)にすることで、初めて、国民が株主となるような日本株式会社となり、経営できる民主主義が実現できるようになるだろう。