ごみゼロにする植木鉢

うちのベランダの生ゴミ処理機

 使わないバーベキュー炭火器を植木鉢にしただけの生ゴミ処理機である。

 軒先のあるうちのキッチンそばのベランダに置いた。ここに、もう3ヶ月の生ゴミが1家族分の生ゴミを捨てても、すべて消え去って、ゴミゼロが今も実現できている。

そのため、うちのゴミの内訳はその量(重さではなく大きさ)の順位は

1,その他のプラスチック・・・・10

2.ペットボトル・・・・5

3.ミックス紙・・・2

4.カン、ビン、ガラス陶器、不燃物・・・1 

5.燃やせる汚れ物ゴミ・・・1

6.紙パック・・・1

7.生ゴミ・・・・0

 である。そのため、週に1回火曜のその他のプラスチックゴミがメインになる。

 生ゴミの処理は実に簡単で楽しい作業である。それは野菜を作るような土づくりと同じで、たくさんの生ゴミが悪臭もなく消え去り、それが肥料に変身する楽しみになっている。もっとも私は野菜を作っていないので、単に生ゴミが消える楽しみだけなのだが、毎回、調理したあと、すぐに、この植木鉢にシャベルで穴を掘り、そこに生ゴミを入れ、土をかぶせ、充分に土をこねるだけである。

♪ お金のシステムもゴミゼロの自然循環に

 このごみゼロの自然循環はお金の循環にも応用できるものである。いや、応用できるというより、お金の循環は自然循環にしなくてはならない。

 生活の基本は食事であり、その食事から出るゴミは自然にもどす。それが自然循環である。お金もまた、お米やパンと同じく、食べたら、消える。料理したあとのゴミは元の土に戻すように、お金の価値も消える。それが、お金が自然と人間と調和できる基本条件である。

 お金が価値が一定期間で消え去る期限循環システムが、人類が生き続ける上で必須のお金の条件である。

 それはまた、お金が永遠不滅の神のような絶対権力を基盤にしてはならないということである。

 人の命には寿命あっての価値があるように、お金も命の寿命と同じく通用期間のあるお金にすることで、人類が互いに助け合える命をつなぐことができる。

 永遠不滅の数字を基盤にしたお金の貸し借りシステムは即廃止することがこれからの地球環境と人類の安定生存には必要なことである。

 今のお金はゲーム感覚で人の命を奪い合うようなギャンブルになっている。お金を不滅にしてしまったために、もっとも大事な人の命がもっとも低い価値観になってしまっている。自然の価値は命が一番価値があり、その次に命から生まれる商品であり、商品から生まれるお金という道具は一番低いものである。

 人は、自分で作ったお金という道具に支配され、管理され、命をそこにあずけている。こんな馬鹿げたシステムは即やめて、人の命がもっとも価値にあるとした、商品とそのお金にチェンジする必要がある。

 その方法はこのごみゼロにする植木鉢に生ゴミを捨てるように簡単にできる。商品に賞味期間があるように、お金に通用期間をつけるだけで、税金はゼロ、環境問題ゼロにできるのである。

 ものごとには原因があるから結果がある。どんな病気もその原因を除去すれば100%治るのである。

 今のお金の病気の原因は、増え続けるゴミのような不滅の数字である。これを逆に消え去るゴミのような生きた数字にするだけで、お金からくるほとんどの問題は解決できるのである。

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ごみゼロにする植木鉢 への2件のフィードバック

  1. miyuki のコメント:

    地球上を覆い尽くしている「水」も、姿形を変えながら、
    循環を続け、命を育んでいますね。
    「永遠」「不滅」 が大好きな人は沢山居ます。
    執着と所有欲は、やっかいな課題と感じます。

  2. ゴン のコメント:

    >miyukiさん
    それはこうもいえますね。
    「執着と所有欲が永遠不滅な存在を創り出す」
    執着と所有欲の創り出すのは「エゴ(自我)」であり、
    永遠不滅の存在は「神」です。
     そのため、自我=神(神我一体)のヒンズー教の信仰が、カースト制度を生み出すように、お金の貧富の差を生み出します。
     今のお金はつきることのない欲望の姿をしています。それを水のように、昇華して、水蒸気になり、元の山々(社会)に戻すことをしないと、人々は欲望の海におぼれてしまいます。 

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