昨年の陸稲の籾を精米すると10分の1の白米しかならないので、
食べずに、実験的にそのまま播いてみようとした。
来年の堆肥を作ろうとする庭に、
残った麦わらや剪定した枯れ葉を敷き詰め、
その上に、牛糞(剪定枝と牛糞を混ぜて3年間発酵させたもの・1トン1万円で購入)
をまき、足で軽く混ぜ、三角ホーで、藁や枯れ葉をかき分け、溝を作り、
浸水させない種籾をそのまま播いて、水揚げした。
雀とハトが種籾を狙って、うるさく群れをなして食べてしまうので
ブルーシートを被せておいた。
雨が降るとシートをはずし、止むとシートを被せた
二週間もすると稲種も、紛れ込んでいた大豆小豆も芽を出してきた。
芽を出した種は鳥は食べないので、ブルーシートをはずして、
毎日水やりしたら、まるで芝生のように、雑草は生えないでさらに生長してきた。
昨年は雑草対策に、耕うんし、穴あきマルチシートで覆い、4月から作っておいた苗を植えこんだ。
今年はその手間が大変なので、穴あきマルチシートに種籾をまいて、土をかぶせ、鳥が食べないように麦わらで覆った。
だが、芽を出した稲は10分の1で、慌てて、失敗した時の苗を牛糞堆肥と一緒に植えたが、それが逆効果で、99%の苗は枯れて死滅してしまった。急きょ、最後に残った1キロくらいの種籾で、牛糞と土半々で混ぜた苗床で、鳥よけしながら。作り、再度苗を植えたが、とても足りないので、小粒の大豆(小鈴)を4.8キロ(18000円農協)を購入して、失敗した穴に播くことにした。
二度目の苗は昨年と同じように、水ホースと三角ホーで、穴を開け、苗を植え、購入した培養土(25L300円バーゲン価格)で覆ってしっかりと固定したら、昨年と同じように枯れずに生長してきた。
耕うんもせず、マルチシートも使わず、苗も造らず、実験的に庭に播いた種籾の方が、苦労して耕うん、雑草対策、苗植えをした種籾よりも、はるかに生長していることにびっくりした。
考えてみれば、どんな雑草も、耕うんもせず、肥料もあげず、種播きもせず、毎年季節ごとに交代して、に三種一杯に生える。雑草はいくら刈っても刈っても同じく生えてくる。種も播かず、耕うんもせず、肥料も水をあげなくても、季節ごとに違った雑草が生えるのだ。
どうして作物だけが、苦労に苦労を重ねても、やっとできるかどうかなんて、可笑しいではないか。
自然の雑草に合わせた農法で作物を作っていった方が、楽に働けるのではないだろうか?
人は嘘の上塗りのように、失敗に失敗を重ねて上塗りして、わざわざ苦労して生きてきているように思える。
それは原発電気を造って、事故がひとたび起きると、そこにもう二度と住めないようになるほどの徒労を重ねていることと、リンクしてくる。
戦争だって、そうだ、仲良くすれば平和的共存できるのに、殺し合って自滅していくことを選ぶのも、徒労に徒労を重ねて、生きづらくしている。
人は一時の欲望や感情で、苦労を重ねてしまう。
自然に、人間だけでなく生き物すべての思いに合わせた働きをすれば
苦労しないで生きられる雑草のようになれるかもしれない。