商品と金

 最近、土地を買うかどうか迷っていると、土地はまさに事業と同じで、失敗すると、大損失になり、成功すると、大もうけできるように思えた。今土地が売れなくて、その価格が下がっているので、損失する可能性が高い。そうしたリスクをさけるには土地を借りた方が安全な事業だろう。

 不動産や株や債権や外貨の預金が金融商品になる理由がだんだんわかってきた。

 お金と金融商品とは明らかに違うということだ。金融商品はあくまで商品なので、その値段が上がり下がりする。その値段をつける数字がお金であることだ。

  お金のシステムからいくと、債権は幻想にすぎないが、この幻想が夢を生み、その夢が宝くじのように、商品化できる。

 私たちは何に一番お金を使うかというと、幻想にほとんど費やしている感じがする。映画やドラマのヒットはまさに幻想を売るようなものだ。幻想の正体は我々の心である。しかも、ものの価値を決めるのはこの心である。

 どんな商品も人の心を表している。そのため、商品に価格が付けられる。

 人のあらゆる問題は心から生まれる。この心を静めたり、解決する力は理性である。

例えば、愛する人が亡くなった場合は深い悲しみが訪れるが、その心を静めるのは「すべて生きている者は死ぬ定めをもっており、自分のいずれ死を迎える」という事実を知らしめる理性である。

 常に変動する商品価格はまさに人の心の数値を表している。この心の数値の変動が激しい場合、それを治めることができるのは理性的事実である。この理性こそお金そのもののシステムである。

 お金が自然の事実を元にしたシステムは減価する貨幣であるが、人のつきることのない欲求である心を元にしたのは、現在の現在の腐らない貨幣である

 そのため、心を心で制しようとした場合法の権力による強制をするしかなくなる。それが税や金利や返済である。税金(心の強制)は個別に商品やサービスに付加せざるをえなくなるが、減価する貨幣(理性)は全体の心を静めることができるので、税金そのものを必要としないし、まして、個別に徴収する必要もない。

 以前、減価しない現在のお金を元にしたシステムで循環させようとした場合、すべての固定・流動資産に一律課税する金持ち税を提案したが、それはけっこう面倒くさいものである。そのときの資産価格が変動するため、把握するのが大変だし、海外の資産までは課税しにくいので、そこに法の抜け穴ができる。

 それは、株や不動産や債権はお金ではなく商品であるため、価格がランダムに変動している。しかし、減価する貨幣は変動率が一定している。つまり、すべての商品に税金をかけて、流通させるためには、お金そのものを減価させるだけでよいことになり、そこに法の抜け穴が生まれない。

 税金で人は憤慨するが、自然の姿には憤慨はしないで、癒される。

カテゴリー: お金って何だ パーマリンク