痛み9*と苦しみ どう違う

足腰の痛みがほとんどなくなってきたので

「痛み」について 考える気力が失せてきた。

喉元過ぎれば熱さを忘れる

痛み消えれば健康忘れる」とも変化できる

英語では

The danger past and God forgotten.(危険が過ぎると神は忘れ去られる)
Vows made in storms are forgotten in calms.(嵐の時になされた誓いは、平穏な日には忘れられる)

まさに、現在の政治みたいなものである

原発事故過ぎれば脱原発は忘れ去られる

終戦時の不戦の誓いは 平和な時には忘れられる

憲法9条の碑もスプレーでいたづらされ、不戦非戦の誓いは平和70年で忘れ去られようとしている

憲法9条の碑もスプレーでいたずらされ、不戦非戦の誓いは平和70年で忘れ去られようとしている

そこで、痛みの時で気付いた健康の大事さを忘れないように

時々『気合祭り』が必要になってくる

勇気一秒 後悔一生!

もっと前向きな表現に替えて

勇気一秒 幸せ一生!

で、この痛みの探求に気合(エイヤ!)を入れ直し、さらに深く散策することにした

痛みと苦しみ どう違うのか?

「心の痛み」という表現があるくらいだから 単純に

痛みとは体の健康の障壁 苦しみは心の幸せの障壁

であると言えそうだ。

体の不幸せは痛み 心の病気は苦しみ

前向きな表現にすると

体の幸せは健康 心の健康は幸せ

 

では、体と心は どう違うのか?

これも単純に

「体は一つ 心はたくさん」

という事実があるくらいだから・・

ちなみに

かっこいい名探偵コナンの名セリフを応用して

「真実はいつも一つ 幻はどこも沢山」

「いつでもどこでも 体は一つ 心はどっさり」

というかっこいい気合掛け合いができる

なぜ体は一つで、心はたくさん在るのだろうか?

心は常に自分以外の他による刺激から生まれるため、刺激を受ける他の数だけ生まれる

そのため、心はまわりの社会や世界を刺激的に映し出された幻・主観であるともいえる。

体の痛みの探求は 心の苦しみの散策でもあり、

前向きな表現で

健康の探求は幸せの散策でもある

 

痛みが無くなったとしても、それはより健康のため、より幸せのために さらに散策することが

もう二度とあのような痛みや苦しみに合わないようにすることだろう。

 

それはダイエットを成功させた人にも当てはまる。

あのライザップCMに出てきたたった二か月でダイエットを成功させた有名人の見事な姿

リバウンドせずにどのくらいもつか? それはその経験者であれば、きっと気付くであろう。

その二か月のダイエット努力を 毎日一生続けなければその見事な健康美は維持できない。

リバウンドさせない努力はダイエットと同じか、それ以上の努力なしにはなしえないことである。

半年で一度20キロ減量し、三年半たった今はリバウンドして15キロ減量状態に必死でキープしている自分の経験からもいえる。

 

さあ、気合入れて 健康散策を続けていこう(^^♪

 

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