勝つことは致さねど負けぬ術は心得候

あの武蔵が挑んだ柳生石舟斎の次男が柳生但馬守宗矩である。

柳生宗矩の言葉に

「勝つことは 致さねど 負けぬ術は 心得候」

とある。

この精神は相手に攻撃をけして仕掛けないで、受け身だけを行う武道としては合気道がある。

ただ、攻撃してくる相手をかわしているだけで、老齢であっても少しも息が上がっていない。

その原理を物理学で解明した学者がいる。

 

人は力を脳で把握するまで0.5秒かかる。

もし、人は阿呆になって無心になれば、

攻撃を受ける0.5秒前に動けることができ、

どんな攻撃も先にかわすことができるというものだ。

それで、

攻撃者は自分の攻撃する力ですっとんでしまうことになる。

 

勝とうとすることは 攻撃をしかけるということである。

負けぬ術とは阿呆になって、相手の攻撃より0.5秒早くかわすことである。

 

それは国を守ることにも応用でき、

けして他国を攻撃しないことはもちろんだが、

攻撃を受けても、防衛して戦おうとはせず、

普段の平和な生活をしながら、相手の攻撃を0.5秒早くかわす。

それは逃げても、隠れてもいいし、相手と子供のように遊んでもいい。

どんな約束も、すぐに忘れるような馬鹿を演じて、心身のおもむくままに生活していればいい。

つまり、

常に平和な心と態度がもっとも強い防衛術であり、

けして勝とうとはせず、けして負けぬ術でもある。

 

では、勝とうとする柔道ではどうするだろうか?

勝とうとする相手の重心の動きをとらえて、相手の重力と勝とうとする力で、自分から転げるようにしかける。

これは武道における

柳生宗矩が提唱する活人剣(かつにんけん)の極意が『無刀取り』であるが、

相手が刀で切りかかってきたときに、体に忍ばせた手裏剣のようなものを相手に指でとばし、

相手がひるんだスキに、すばやく相手の脇に回り込み、相手の刀を奪ってしまう技である。

 

活人剣とは殺人しようとする悪心を切る剣であり、実際には、殺す悪刀を奪う術のことである。

その場合、勝とうとする相手の心を一瞬目くらましさせるのが、手裏剣などで、気をそらす。

この三船十段が足技などのフェイントを使って、相手が勝とうとする心理から、

守ろう(負けまい)とする心理へと転換させることで、

相手が勝とうとする自らの力で転ぶようにしかけている。

 

けして、自分が相手に勝とうとはしていない。勝とうとみえるものはすべてフェイントにすぎない。

 

 

 

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