「物質の最小単位である素粒子と大きな宇宙というものが表裏一体である」(村山斉)
地球から太陽そして銀河系のその渦の中心へと意識を移動させていくと
その先の宇宙の果てまでの意識の旅で、どっちにいったらいいのか迷っていた。
ところが、
村山斉が言うように、素粒子と宇宙が表裏一体だとすると、銀河系の渦の中心はダークマターまたダークエネルギーであり、そこの意識を旅させると・・・・なんと
そこで、物質の最小構成要素である素粒子とダークマターまたダークエネルギーと繋がってしまう。
いわば、宇宙旅行のワープが起こるのである。
空間と時間を超えた物質宇宙世界が突如出現してくる。
世界を大きく広げ望遠鏡でみるマクロの世界
物質を深く掘り下げて顕微鏡でみるミクロの世界
この両者の姿はよく似ているがまったく違う世界
そこがどこでどうつながっているのか?
世界の経済社会をみるときに、
マクロでみるグローバル社会、ミクロでみるローカル社会
その両者はどこでどうつながり、どうバランスを保つのか?
数学でいう、
時間空間の終わりを無限大に伸ばしていく宇宙の果てと
時間空間の出発点である無であるゼロを探っていく原子素粒子の世界
その両者がどうつながり、どういうバランスでとらえられるのか?
宗教や哲学においても、
絶対的存在であり、宇宙の創造主である、神や仏、全体知また真実・魂の悟りと
その反対である絶対無であり、宇宙の始まりと終わりであり、悪魔と愚者の悟らずと
どうつながり、どういうバランスで、どうとらえるのか?
それは
「わからないことがわかる」ことと、「わかっていることがわからなくなる」
悟の不悟 不悟の悟 それがどういう状態で起こるのか? その境はなんなのか?
という疑問でもある。
我々の意識は時間空間を超えて旅させることができる。
その意識と素粒子と宇宙のダークマターの三者がもし同じ存在であると仮定すると
この存在と無、宇宙と素粒子、知と無知、生と死がつながってしまう
四次元を超えた五次元の無意識が一種の直観として把握できてしまう。
つまり
銀河系の渦の中心から、一瞬にして物質=宇宙の始まりと終わりに、ワープしてしまう意識で
その先は無意識と直観で、意識も身体と頭脳も心も動く世界に入っていく。
それは銀河系と他の星雲の中心同士を繋ぐ知恵の輪のような直観でしか見えない未知の世界でもある。
その直観の世界に入ると心が落ち着き、
宇宙の始まりとか果て、また物質の本源、生と死などが、みな4次元の世界の話題であり、
5次元の世界ではそれらの違いがあまりなく、その違いにもこだわりがなくなる。
それはいわば客観的に冷静にものごとをとられることを無意識にしてしまうようにもなる。
ミクロのマクロも別々な意識としてそのままとらえ、人の生と死も、植物の生と死と同じような感覚でとらえたり、どんな差もどんな違いも それらが美しく描く模様のように観じられてくる。
日頃は主観的に物事をとらえているが、
この宇宙瞑想をすると客観的に物事を見る癖がついてきて、
何か問題が起きた時に、それを客観的にとらえ、その解決策がすぐに出てくるようになりそうだ。
いわば、この宇宙瞑想は問題解決学というか、問題解決協議運動の前の準備体操みたいなもので、
アイデアを出すための心身環境を整える作業になれる。