改めて金銭考察

金銭が世界のモノとサービスを分配するシステムであるという定義から、改めて考察してみると、

将来予想される金銭を分配することは予言を信じて行動するようなもので、信じてはならないシステムである。

そもそもモノ・サービスと交換する基準となる数値が毎日、毎分違ってしまうのは、狂っている秤でモノサービスを交換するようなものであって、健全なシステムではない。

こうした狂った金銭システムの元凶は金銭を貸し借りできるものであるとしたことである。

共に生きて行くために食べ物を分かち合うためのシステム法が金銭であるから、食べ物は与え貰うしかできず、貸し借りなんかはできない。

将来生産できる食べ物を前もって分配する約束をしてしまうことは分配されない人は飢え、分配される人は肥満になる。世界のモノサービスを数十人が72億人の命を支配する格差社会が現実になってしまうのは当然の理である。

現在あるモノサービスだけを分配する金銭システムにしたら、金銭の発行金額もそれに合わせたものになり、モノサービスの価格は現在のモノサービスの需要と供給で決まり、将来予想した投資金額の需要と供給では決められなくなる。

今生きているということが重要で、この先の不安や幸福が重要ではない。先は常に未知であり、それが命が奇跡の贈り物であるということでもある。

明日を人は決めつけてはならない。明日は自然の新しき命のプレゼントであるからだ。我々の個々の細胞は常に新陳代謝して生まれ変わっているではないか!

海を渡る天の橋立には、井戸があり、それは海水と混じることはない真水が飲める。こんなことを予想出来ただろうか? たまたま掘ってみたら真水が出てきたということであろう。

 

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