必要は発明の母
偶然は発明の父
と言われる。偶然の中に遊びや疑いがあるので、遊びや疑いが発明の父とも言われる。
発明は新しい知恵、発見は新しい真実であり、
それがその人にとって必要かどうかは限らないので、必要は発明を産み出すが、その発明が必要を産み出すとは限らないので、遊びに繋がり、その遊びから偶然新しい発明が産まれることがあるので、偶然は発明の父とも言われるのだろう。
現代の発明は必要から産まれたものは少なく、偶然や遊びや懐疑から産まれた発明の方がはるかに多い。
そして、多くの発明が生きるために必要だと勘違いされ、それらは需要という欲望の範疇に入っている。
例えば金銭は生きる為にどうしても必要だと信じ込まれているが、金銭なしに生きてきた人類の方がはるかに長いし、人間以外の生物にはまったく金銭は必要がない。
ダイエット
健康のためにダイエットに挑戦して4年目
どうして必要以上の飲食をしてしまい、
急激に痩せようと どうして必要以下の断食をしては
その結果と反動で肥満とリバウンドを繰り返してしまうのか?
必要と欲望を勘違いしていることに気づいて来た。
必要に合わせれば健康回復と維持ができるが、
欲望に合わせてしまえばさらなる病気に陥るのが
解っちゃいるけど止められないのはどういう心身状態なのか?
まるで肥満また欲望依存症の症状ではないか!
つまり、自分が肥満と欲望依存症という病気にかかっているという事実をまず認めることが必要だ。
そして、健康回復には
どうしても必要なだけの食事と
どうしても必要なだけの運動をする
というリハベリ努力に集中していくことだ。
その飲食はどうしても必要か?
その運動はどうしても必要か?
常に自分自身にそう尋ねて、即判断し、行為を決定することだ。
必要は健康の父であり、自然の母である。
必要を家に喩えるならば
必要は健康の大黒柱である。