地球は二次元のように真ッ平で遠くは水平線が見えた。
だが実際は三次元の球形で回るく、水平線の向こういくと、後ろに帰ってきた。
太陽は東から出て西に沈んで、地球の上を回るものに見えたが
実際は、地球が太陽を一年かけて回っていた。
時間は三次元の空間の上に無限に続く直線のように見えたが
実際は???????
前の水平線の向こうにいくと、自分の後ろに帰ってくるように・・・
時間は無限に先の未来に進むのではなく、いつしか自分の過去に帰ってくるのではないか?
太陽も銀河系も、宇宙も 誕生と死を繰り返している。
命あるものすべてがやはり誕生と死を繰り返している。
その事実からすれば、時間は誕生と死を繰り返して回る時計の針のようなものではないだろうか?
遠い星の誕生を望遠鏡で見ることができるが、その星の誕生は数億年前の事実であり、今の姿ではない。
逆に、遠くの星から地球を眺めれば、数億年前の地球の姿を見ることができる。
それを親しい人の一生の姿を地球から光の速度よりも少々早めに遠くからみれば、その過去の姿をまるで録画映画をみるように見えてくるだろう。その事実を。
それは過去のどんな事実も消えないし、未来にその事実を観ることができるということでもある。
そうした過去のすべての事実を未来が観察できることは、時間が一直線ではなく、未来と過去とが回っているということではないか。一直線ではないが、過去現在未来への流れは一方通行ではあるが、時間を超えた五次元意識では未来は見えないが、過去のすべてを観ることは可能であるということである。
未来は過去の出来事を模倣して想像したり、占うことができても、当たるも八卦当たらぬも八卦で、五分五分の確立で「当たる」「当たらない」の二者択一である。
癌を予知され、余命3か月と言われても、それが当たる確率はやはり五分五分である。未来はどんな人間でも、どんな神様仏様でも予測できない事態が起こっていることがそもそも宇宙の四次元世界である。
五次元の意識が過去の事実を把握できても、未来の事実を把握でききないのは、時間は一直線ではなく、巡っていても、それは過去への回想はできても、未来への占いはできないという一方通行の姿である。