何かと思索すると
相対的思考と絶対的思考にぶつかり、
その両者の違いを明確にしないと、さらなる思索ができなくなってくる。
相対と絶対の違いは・・
五次元における意識の世界において
存在と無または生と死の二者択一をする場合において、
存在する : 存在しない とした場合・・存在がするかしないかにおいては、存在が絶対になる
存在しないモノを無と仮定とした場合
存在 : 無 として対立させた場合・・それは存在しない有を無として想定するので相対となる
相対の場合・・
相対は必ず両者は同格になり、その力の優劣はなく、本質的に同じ力量を持つ。
だが、この世界にまったく同じモノは存在しないし、また、相対するモノは想定として成立するもので、四次元の世界の自我のようなもので、過去の自我と今の自我と未来の自我は似ているが、まったく同じではない。
無機物におけるまったく同じ質量形であっても、それが空間的にどこにあるかでも違い、また、それが時間的にそこにいつあったかでも違ってくるので、まったく同じモノは4次元世界ではないといえよう。
だが、意識の五次元の世界では
自分もその存在も、鏡をみるように想定することができるが、それは何かが必ず反対(相対)になっているモノが想定できる。
4次元では
人は死んだら無であるが
5次元では
人は死んだらあの世に逝き、霊となる
つまり、死んだ時の個我を存在するかのように、霊といい、生きている世界をこの世といい、死んでいる世界を彼の世として存在しているかのように想定することができる。
数字でいえば、
0 の発見である。 0 を想定しなければ、どんな数学も成り立たない。数字だけでなく、言葉も知性も感情も働かない。
そこで問題になるのが
存在と存在しないという絶対的な意識による思索や知性がありえるか? ということである。
数字に 0 がないとしたら、どういう生活ができるか?ということでもある。
0 を 1ではない・・2ではない・・3ではない・・
だったら、何だ? 解らない! となるだろうし、思索の堂々巡りになり、何事も空回りして、何事もできなく、また生きることさえもできなく、自殺に追い込まれてしまうほどの病気になってしまうだろう。
また、この世界に絶対的存在としての創造神がつくる宗教的世界だとしたら・・
神の存在しかなく、それ以外はみな神ではなく、存在もしていない
ことになり、その思索の行先は
すべては神 どこにも神がおり、すべての心の中に神がいる
ということになってしまう。
そして、神に相対する悪魔は存在しないことになり、もし、神と悪を戦わすような事象があったら、矛盾することになり、神は絶対的存在とは言えなくなる。
神をこの世を創造した存在とするならば・・
創造する神も創造される神も同じ存在でなければ絶対的な存在とは言えない。
つまり、絶対的な意識では
神か? 神でないか? この二者択一しかなく、同じところを永遠に回り続けるエンジンのようなエネルギー体としてしか表しえない。
物理学のエネルギー保存の法則(孤立系エネルギーの総量は変化しない)のようなもので、エネルギーが相対するモノに伝わったとしても、両者のエネルギーの総量は変化せず一定であるということでもある。
神という存在をエネルギーとして捉えると相対するモノではなく、相対する両者を合わせた総量であるエネルギー体ということになる。
神と悪魔と相対的な戦いとしてではなく、神と悪魔両者の力を足した総合生命力が本当の神(創造力)といえるだろう。
絶対的思考が堂々巡りになってしまうため、それを治めるためには、
相対的思考を総合して捉える総合思考というものにすれば堂々巡りを静止させることができる。
例えば
矛盾という言葉の成立をみると。。
絶対的思考・・
「この矛はどんな盾でも貫く」
「この盾はどんな矛も貫かせない」
それで、人々は言い争いになるので、論議の堂々巡りの争いごとになる
だが、
「その矛でその盾を突いたらどうなる?」
これが実際的解決法であり、相対的思考に当たる。
それは絶対的矛と絶対的盾を想定した場合、その両者を合わせたらどうなるか実験、実証してみよう。
「その結果
その矛はその盾を貫いたが・・
その矛はあの盾を貫くことができなかった・・
あの盾は別な矛に貫かれた・・」
こういう現象が続くのが古今東西の歴史でもあろう。
そして、
その実験実証を具体的にまとめて、総合した結果は科学である。
この科学はいわば総合力であり、総合的思考ということになる。
そして、その総合的範囲はすべてではなく、みな一部にしかならないので、
エネルギー保存の法則のように、孤立系エネルギーの総量であり、孤立系組織における総合的思考になるので、それらはみな具体的事象でなければ無意味である。善とか悪とかのような抽象的な事象には使えないものである。
こうして
絶対的 相対的 総合的な思考を考えてみると・・
物事の問題をこの三者の意識で解決していくことができると思える。