今日本は少子化高齢化で、人口が減少している。
つい、10数年前では世界の人口爆発に合わせるかのように人口も増加していた。
いったい、世界の人口爆発をどのようにとらえたらいいのだろうか?
究極の社会保障と言われるベーシック・インカムを進めていくと、ある不安が生まれてくる。
「もし、世界の人口67億人の生活を保障したら、人口爆発をさらに爆発させてしまうのではないか?」
という疑問である。
ある人類学者がこんなことを言っていた。
「生存率が厳しければ厳しいほど多産になる。それが生物の本能である」
魚や昆虫などをみると、かなりの多産だが、それで生き残れるのはわずかである。人類に近いほ乳類になるほど少子化になってくるようにさえみえてくる。
日本は食料がたくさんあるのに、人口が減り、食べていくのが難しい国の方が人口増加している。
今までの生物の教科書では種の中でより強い者の遺伝子が受け継がれて、その種が保存されていくというように書かれている。しかし、もしすべての生物にその弱肉強食のような原理が通用するのだったら、常により強い子供が生まれてくることになるが、実際は常に弱い子も強い子も常に両方生まれてくる。
生物全体が弱肉強食が真実だったら、すぐに弱肉の生物は死滅し、強食の生物だけが繁栄する世界になってしまう。しかし、この自然界は常に弱肉強食の生物が存在し、互いに依存しあっているという姿が本当のところではないだろうか?
そこで、世界の人口爆発の原因をこうとらえることができるのではないだろうか?
人類の中で、格差が拡大し、より強い少数の人類に対して、弱い多数の人類ができるかぎり多く多産して、より生存率をあげようとしている姿ではないだろうか。
これはちょうど西ドイツが崩壊する姿に似ていて、少数の政治支配者に対抗して、民衆のデモ隊がどんどん膨れあがっていく姿と重なってくる。
弱者の記憶
今の少数の金持ち支配の貸借システムはより金を持ったものが金を持たない者を死に追いやるものだ、それに対抗して、弱い金の持てない者の逆襲が人口爆発をさせている。
家族設計をするときに、子供を何人産むかを決める。そのとき、夫婦は1人1人の子供を幸せに育て上げられるだけの人数と時間を決める。
でも、そうした家族設計をしないで生めば、本能に従って産み、育てる責任を放棄して、子供だけで生き残れる力にまかせてしまう。
今の資本主義と自由主義は個人の最も強い欲望を根本にしたシステムなので、まったく家族設計しないで、欲望のままに子を産み出し、欲望にままに生存競争させて、そこで生き残れるものだけが勝利者になれるシステムである。
つまり、食料が多くなれば人口が増え、食料が少なくなれば人口が減るのではない。食料と人口数とは無関係なシステムが今の資本主義である。
もし、1人1人の命をもっとも大事にするような家族設計で明日の子供たちを生み出すならば、人類は自然と環境に合わせた永続可能な人口にしていくことになると思える。
今の地球の人口爆発tは人の命の重さを無視した欲望中心の経済から生まれた。
しかし、
明日の地球の人類を人の命を最も貴重にした経済は自然と人類全体が永存できる数にしていくだろう。
先の不安は逆で、1人1人の命の重さを最も貴重とした人類のベーシック・インカムを実施することで、今の人口爆発を沈め、知性のある家族設定で、人口を調節していくだろう。