数十年前に、問題解決学という方法がけっこう流行った。
有名だったのが川喜多二郎の頭文字をとったKJ法だったが、もう一つ名前は忘れたが、その方法が実にユニークだった。
ある問題があるとすると、
「それは何の為にするのか?」
答えると、また
「それは何の為にするのか?」
と、その目的をどこまでも追及していく。
そういう問いかけをしていくうちに、最初の問題は自然と解決されていくというものだ。
気になったのは最終目的はどうなるのか?
その本には書いてなかったが、今の私には答えられる。
「生きる」のように、その目的とその手段が同じ「生きる」になった時にその問いかけは終わる。
目的と手段を、変えたり、取り違えたりすることで、人類の進化と退化が決まってくる
この「何の為に?」という目的追及は、「それは何故?」という原因究明にも応用できる。
「それは何故?」を繰り返し問い、「その原因とその結果が同じ」になった時で、問いかけが終わる。「生きる(命)」のように、その原因とその結果が同じになった時が探求は終わる。
「目的」→「原因」に、 「手段」→「結果」にして、深く掘り下げるトーナメント協議に似てくる。
「原因と結果」が「確か」か「不確か」で、自然と依存、健康と病気になる
これらの「目的」と「手段」、「原因」と「結果」をラベルに記入して、このようなトーナメント表を作ると、問題解決のガイド図になると思える。