依存症からの脱却6/科学って

ダイエットに関する科学的見解は実にころころ変わる

最近は、ロカボ糖質制限によるダイエットが主流で、過去のカロリーダイエットは一掃された感じさえする。

科学的と言われただけで、何かそれが真実であるかのような空気感が漂う。

だが、科学的と言われた結果の歴史をみると、まったく見解が逆になったことがけっこうある。それに科学者によっても、一人一人違い、その多数決のようなものが、その時の科学的見地の主流になってくる。

科学というのは真実を探るための一つの方法・手段であり、その手段が真実ではない。真実に至る道は科学的手段だけでなく、他の手段でもたくさんある。

これは目的と手段の図からいくと、

依存症は目的と手段が取り違えなので退化

真実を探る目的は変わらないが、科学的手段を変えないと、人類は絶滅するということでもある。科学の前は宗教であった。真実に至る道を宗教的手段を変えて、科学的手段にした。だが、その科学的手段も変えていかないと、真実への道は遠のいてしまう。より真実を探る手段を発見すれば宗教的世界から科学的世界に変ったような大変革が起き、絶滅から救われ、進化へと方向転換できるように思える。

TDKのCMのジャズピアニスト上原ひとみスベシャルインタヴュー(動画6分から)

未来とは

未来とは・・今現在何をしているかによって変わるもの。何年後どうなっているかは誰にもわからないと思うのですけれど、私の場合、ピアノを弾いていたいという気持ちが強くあるので、できれば今よりももっといろいろなものを表現したいし、もっといろいろなものを弾けるようになりたいし、自分の未来に対していつも期待していたい。そのためには やっぱり今何をすべきかってことを常に考えてコツコツ頑張る

 

GENERATION

これをしたら絶対うまくいくって道はないです。なんか、それがあったら逆に知りたいというか、ただ探し当てたいという気持ち、自分がドキドキしていたい。何度も何度も同じ実験を繰り返して ちょっとずつ分量を変えたりして、なんかずっと作りたかったものが何かの偶然の一致でできたとか、ゴールを決めたいといった気持ちがあって、それでも外してしまうときも何度もあって。でもタイミングでバーと入ったとかそういうのと同じで、探し当てたいという気持ちはずーとあって、それがかなう瞬間がご褒美。自分が今やっていることはすべて自分にかえってくるということ。毎日の積み重ねが自分の財産になるし、それは毎日の小さな努力だったり、いろいろな経験だったり、そういった一つ一つが自分の血となり肉となって、自分を作っていくので。毎日出会う物事や人やそういったものすべてが、この先の自分に返ってくると思います。

努力コツコツとやること、ジャンプ台みたいなものっていうのは存在しなくて、本当に一段一段こつこつと地道に上っていくと、ときどきなんかご褒美みたいもみえるものが、目の前に広がっていて、それでまたコツコツと上るっていう。

自分がこれがやりたいっていうものが、見つけられたということっていうのは、本当にそれだけですごくラッキーなことで、やっぱそのラッキーにちゃんと感謝することというのは、その幸運を無駄遣いにしないように、ちゃんといま自分がやりたいって出会えたものに対して、ちゃんと真摯な気持ちで向き合っていくこと。そうしたら絶対10年後はもっと楽しいです。

科学も音楽も同じで、「これをしたら絶対うまくいく道はない」。

その目的に対して、その絶対的な一つの道というのはなく、たくさん道がある。

もし、手段を絶対的な一つとしてしまうと、その手段が目的にかわり、本当の目的と手段が入れ替わり、依存症に落ち込むことになる。

 

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