私が今尊敬し、応援したい人が3人いる。
O教授とK医師とM婦人である。
3人共通しているのは、自分がやっていることがどれほど社会が必要としていることであるか、気が付いていない。
灯台下暗しである。遠くの他人のすばらしさに灯りを照らすのはできるが、自分自身のすばらしさはまったく照らすことができないでいる。
という私も最近
長年の友人I氏に数十年ぶりに会い、自分がやってきたゴリラ便のすばらしさをとうとうと語られて、「自分がやってきたことがそんなにすごいことなんだ」と、自分はただの失敗作(株市会社ゴリラ便には社会的需要がないとして30年続けたが解散した)と思い込んでいたが、訂正させられた。
言われてみれば、ゴリラ便はオンリーワンであり、他の同じような会社は世界中どこにもない。
このオンリーワンに気付くことが、「灯台下も明かし、「自信を持つ」ということである。
また、昨日のことだが、渋谷区役所から、親から続けてきた100年も続けているフリマ笹塚の店の日除けテントについて、その使用取り消し注意の手紙がきた。
それは商店街で店先の商品を並べると、怒り出す通行人がいて、それを警察や役所にクレームをつけ、その担当者を連れて営業停止までに、追い込もうとした。その異常なほどのクレーマーの態度は、まさに100年ぶりの出現である。
その流れが、100年も続けてきた日除けテントの使用許可取り消しまで、役所が動いたことがとても信じられないことだが、たった3.5坪の店の店先に出す商品や日除けテントに、しかも、ほとんどその店の経営は赤字続きで、自分の労賃はまったくでず、ボランティアとして数十年続けている店への営業妨害のような法律をたてにした一通行人と警察と役所の行為に、嫌気がさして、今年一杯で、店を閉めようと思った。
それを店スタッフのN氏と夜中中ラインでトークして、私自身ふと気が付いたことは、「フリマ笹塚のようなネットと店を使った経営の一店舗のフリーマーケットは世界中どこにもない、オンリーワンであること」だった。
儲からなかろうが、どんなにクレームがこようが、社会的にオンリーワンで在る限り、存続する価値があるということである。それは自信を持って店を続けていいという声が地の底から聞こえてくるような感じがした。
フリマ笹塚の店は株式会社ゴリラ便が生まれ変わった姿でもある。
また、倉庫付駐車場についても、オンリーワンの経営なのである。当初3年も全部うまることがなかったのに、今では空きをまつ顧客が二軒いるほどになっている。今までで、不動産屋独自の広告での紹介は一件もなく、フリマ笹塚の店で大きな看板広告を出して、その不動産屋さん経由また、直接契約で得てきた顧客である。
不動産屋ではただ駐車場としてしか、広告できないからである。倉庫付駐車場などというジャンルは不動産広告にはないから、それを目当てに探す顧客はいないからである。そのため、独自に現場近くのフリマ笹塚の店で広告宣伝しなければ顧客をえることはできないことである。
このようにオンリーワンであることに気が付けば、それに自信を持って続けていい・生きていいということである。
私が今尊敬し、応援したいO教授とK医師とM婦人も、みな社会的にオンリーワンのことをしている。ただ私のように儲からないどころか、出費がかさむ地味なボランティア活動であるので、その行為に自信が持てず、弱気になりやすいのが難点である。
数か月前に、徳島大で、授業の冒頭に5分間、「生まれつき音痴な私が、才能なさにやめた尺八を、50年後、再び楽しむ自信ができたので、才能よりも好きだということに自信を持って生きていってほしい」という命のバトンする話がけっこう好評だった。
オンリーワンなのに、自信を持って生きている人があまりに少ない。
そうした持たなくていい一種のコンプレックスを持ってしまう人は、他人のおごり(嘘の自信)に騙されてしまい、その他人にいいように洗脳され、盲信・迷信させられ、従属して、自分の人生も周りの人生も台無しにしてしまう危険性が高い。
日本人の15才~39歳までの死亡原因のトップが自殺である。今、またこれからの時代を担う若者がいかに自信が持てず、自殺に追い込まれる社会風潮であることがわかる厚生省の統計である。
日本国憲法9条がある戦争放棄する平和憲法は世界でオンリーワンであり、それを世界に向けて自信をもって知らせ、誇りをもって、存続させていい、日本の魂と文化歴史の宝物である。
その自信のなさ、他国と比較しての持たなくてももいいコンプレックスで、憲法改正などとうたう必要もないことだ。
もうそろそろ、「灯台下も明かし」する灯台も出てきてもよさそうな時代である。そうすれば、「下も明かす灯台」に沢山の観光客が集まり、憩うだろう。