身体が動く中心はどこにあるか?
身体を社会とすれば、社会が活動する中心はどこにあるか?
身体を動かす中心は頭の脳にあると感じられるが、脳死でも身体は植物人間のように生き続けることができるし、
脳の意志で、身体全部を動かせることはできない。
古来から、社会の構造も統一された中心である王や政府がないとその社会は平和になれないとしてきたが、王様がいなくても、首相がいなくても、その社会はそのまま維持できる。
お金のシステムも、中央銀行だけがお金を発行し、管理することで、成り立つと信じられているが、ビットコインのように、ブロックチェーンで中央銀行がなくても、お金を発行管理できる。
王様がいなくても、民主主義システムで、大統領も首相も立てて、国の運営できる。
身体をテンセグリティ(張力統合体)として、成り立つとしたら、最低6本の骨(箸)とそこに伸縮二本の筋肉(輪ゴム)が6個必要である。
最低限のテンセグリティの作り方
このテンセグリティの中心には何もない。しかし、一本が動けば、他の5本が動く。
6人のバレーボールチームが最強に働くときは、
1 for all. all for 1 であるが、リーダーがいても、その6人の1人にすぎない。むしろ、6人全員がリーダーであり、部員である。
仏教でいう司令塔のリーダーの役目をするのが感覚器官の六根であり、五感と意志の眼耳鼻舌身意であり、いわば
見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・思う
それらの感覚器官は「脳の思う」が中心であるとはいえず、6感覚の1つであり、六感覚すべてが中心であり、テンセグリティで繋がっているといえる。テンセグリティの立体の球心には何もない空間であるが、無また空の中心があるようにさえ感じることもできる。
人が問題を解決するために、いろいろ考え、いろいろなことをして、その結果の事実から判断していく。
それは問題解決は6つの感覚で一つ一つ確かめながら進んでいくようなものである。
その6つの感覚を頼りに進むとき、具体的事実を明解に記述する5W1Hの6つの疑問を頼りに、問題解決をすることができる。
5W1Hというのは、新聞記事を書く場合、物事を正確に記述し、読者にきちんと伝えるための最低限の内容である。そうでないと、、群盲象を評すように、一部抜粋のような、いくらでも読む人の解釈で全体像が変わってしまう。
考えただけでもダメ、見ただけでもダメ、やってみただけでもダメで、最低限5W1Hが整って初めて、問題解決の道がはっきりと解ることができる。
身体の健康も、社会の平和も、この6つの方向感覚で安定を維持できるように思える。