老いぼれ親父の平和運動8/戦争か平和か

意志あるところに道は開ける・・・リンカーン大統領

戦争と平和の問題は、戦争か平和か、どちらに意識・眼を向けるかの二者択一の問題である。

意識と眼を戦争に向ければ、戦争の扉は開き、

意識と眼を平和に向ければ、平和の鐘がなる。

武器を持つか?武器をもたないか?

今、NHKスペシャルの人体・神秘の巨大ネットワークをやっている。

人体の内臓も各細胞も、みな意志と感情を持っているという証拠を示している。

人が作る道具である 「お金」も、「武器」も、その「使い道」として「目的=意志→感情」をもっている

江戸幕府がその政権を天皇に返上し、無血開城をして、

新しい明治政府が創られた。その際、最初に行ったのが、武器である刀を持つことを禁止する法律として廃刀令を制定した。人殺し&戦争を禁止するために、それを使う武器を持つことを禁止したのである。

一方、米国は自分の命を守るための銃を持つことを認める法律を制定した。

これは、正当防衛として、もし人が自分を殺そうとしたら、その人を自分は逆に殺してもよいという正義論からきている。

この正当防衛は、「目には目、歯には歯を」という、ハムラビ法典からきており、それはイスラム法にも引き継がれている。だが、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というキリスト教を国教とする米国法とは相矛盾する。

「銃には銃を、核兵器には核兵器を」という自衛の為の正当防衛論は、負の連鎖つまり不安と戦争の拡大を引き起こす。

それが、国民における「銃所持か、銃不所持か」、

国における「核ミサイル保持か、核ミサイル不保持か」

この正当防衛論が、今の北朝鮮と米国の暴言応酬である。

それが日本国内の正当防衛論は憲法9条を改正するか護憲するかにも波及している。

 

憲法9条の、戦争をする一切の軍隊も武器所持も認めない平和憲法を護憲するか?

 

憲法9条を改正し、その例外として、

自衛隊を軍隊として、その武器と核兵器を持つことを、

かつ同盟軍の集団防衛の戦争を行うことを認るか?

憲法改正か、護憲か?

意志あるところに道は開ける

 

人体の細胞のように、

国民の1人1人が、

その意志を戦争か? 平和か? に向けるかどうかで、

身近な社会も、国も、大きな世界も、

平和への道は開かれていくのである。

 

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