時空を超えて今僕はここに居る・その2

フランス人のジュリアンが 43年前パリで 10日も居候させてもらった友人を探してくれた。

当時のメモには

PLOUQIN  GERARD

JUST 2463

11,PLACE D’ITTALIE PARIS 13, FRANCE

であるが、フェイスブックなどの検索では出てこない。フランス人の感覚で、名前はどうやら

G’erard Poussin

Facebookではただ一つ似ている人物の写真があったが、それだけで、基本情報は何一つない。連絡をとっても返事など期待できないだろう。

 

ジュリアンに最初に提示された印象が深く、ジェラだと思ったが、何か目のニヒルな症状が違っている。

若い時のジェラの家族は

ジェラは

次にジュリアンが提示したG’erard Poussinは

 

ここのリンクにログインして、連絡はとれそうである。

現在71歳の写真は

彼の若い時のアルバムを探してみると、

なんともなく似ているが・・??

どうも、後者の方がより近い感じで、その経歴が・・

現在:Pierre Mendes-Franceグルノーブル大学臨床心理学教授

出逢った時は私が24歳であったが、彼は私の世話は妹にまかせっぱなしで、いつもどこかに出かけていた。

何をやっているのか?と 慣れない英語で聞いたのだが・・当時 どうにも英語が話せなく、言われてもよく解らない。フランスでは英語はほとんど通じないこともあり、ジェラとの会話はほとんど ボディランゲージだった気がする。

ただ唯一、彼が日本の漫画に興味を持っていたことは記憶しており、それが当時1974年の彼の経歴と重なってくる、

「彼は(最初のアニメーション映画で頭角を穴の注意 – 1970年  大佐Zabu 1970  ワンダーランドでAlphonを 1972 –  ヒックスの夜、1977 –  テオベラ交換の世界を、1979年。彼の映画の二人は、彼が多くの新聞のために働いパリ(原-キリ、亜鉛、チャーリー毎月、エコーサバンナに移行することでカンヌ短編映画祭1971)で、漫画にありました、Le Nouvel Observateur、解放)」

また、彼と知り合ったのはフランスの西海岸のユースホステルである。当時の有名人がユースホステルに泊まり、私を自宅に招待するだろうか?

さりとて、PLOUQIN  GERARD = G’erard Poussin であると、ジュリアンの感性が合っているかもどうかも分からない。

ともあれ、

私は今43年前のフランスで、お世話になった人を探している。

それはカミユとジュリアンが帰国後、すぐに結婚式をあげる。

そこに私は招待されたのだが、今年のボルネオ学会に集中していることで、他に手が付かないし、

フランスを再度訪問するには、まず PLOUQIN  GERARD = G’erard Poussin 氏を訪ねてでないと どこにもいけないほど、その恩義を感じているからだ。

それを知ってか、ジュリアンは必死に彼の行方を捜してくれた。

それは私がこう言ったからだろう。

「カミユとジュリアンをお世話したのはたった三日だよ。僕はフランスで二週間も三食付き、部屋付き、自然動物園などの観光も、またパリ国際空港までの送りもそうだし、後、数年たって、会社の知人を彼に紹介し、お世話にもなった。

日本人の私の心より、フランス人の彼の心の方がもっともっと大きいよ」

ともあれ、

確認したくても・・それだけでも、かなりの勇気がいて ドキドキもんである。

それをするにも 数日 数週間の 心の準備がいるのである。

 

 

 

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