時空を超えて今僕はここに居る・その6

April Fool

「春の馬鹿」

嘘のようなポカポカ陽気 バカ騒ぎもしたくなる

権威あるもの、権威を求めるもの 権威に屈するもの

そんな人物に多く出逢っていると 「知らないのに知っている」「何の確証もないのに信じ込んでいる」「その答えがないのに答えを断定せざるをえない」「まわりから信頼されているので大丈夫のふりをする」「回りからおだれられるのでそうだと信じ込んでしまう」「自信がないのに自信があるようにせざるをえない」

知識人 賢人 でないと 自分の立場が保てなくなる。

馬鹿になってはいけない バカであってはいけない としきりに そう自分に言い聞かせている。

だがなあ・・

そんなつまらぬ枷をはずして、エイプリールフールの 一年に一度でいいから 正直の自分の馬鹿さを解放しようではないか

自分が馬鹿であることはいわば

自分の丸裸の姿を世間に公表するようなものだ

そして、自分の正直な気持ちを 全部言い放すようなものだ。

それは とにかく恥ずかしい 醜い無様な姿だ

どんなに 偉かろう人物も ただの凡くらだ

過去のどんなイエス マホメット 釈迦 ソクラテス アインシュタインだろうと

ただの 我らと少しも変わらぬ バカ者だ

ただ 信じ込んだ賢さ 知識 悟り 真実 で、自分を覆い隠しているだけだ

この春のポカポカ陽気の温泉にはいった気分で、そんな知識の覆いを脱ぎ去ろうではないか!

みんな馬鹿なら、どこに劣等感や どこに驕りがあるというのか

そこに 共通の居所がある ともに生きている実感が沸き起こる

 

馬鹿とは もうどうでもいい知識や常識や見識や信条を 洗い落とすことであろう。

 

今日のエイプリールフールくらい みんなで馬鹿になりきろうではないか

そこから 明日の平和 健康 コミュニケーション 仕事 学問 生活 がリセットされ 新しく更新されて進みだす。

 

そう、馬鹿になりきることは 生活のリセットなのだ

 

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