自然界をみると、何が悪者で、何が善者なのか決めつけられるものではないようだ。
寄生虫がみな悪者といういわゆるレッテル化はできなく、一部の寄生虫は善者であるという一例だ。
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今回の知足庵の三日間の奇跡はほとんど話さない大橋教授が大いにリーダーシップをとり、話したことだろう。
モンゴルの留学生が翻訳している「医者に殺されない47の心得 必携版 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」の仮説hypothesisと検証Verificationは何か?
そこから議論は始まった。
二日目になると
癌cancerの定義Definitionはない
癌細胞Cancer cellの定義があり、それは増殖性 と 転移性がある細胞
という核心にせまる。
癌宣告の場合、検査技師がその部位の細胞を取り出し、増殖するか試験もしないし、
また、動物を使って、転移するかも試験しない。
ただ、それらしきものがあるというだけで 形が変なのが悪性腫瘍で、形が普通なのが良性というだけである。
つまり、
ほとんどの癌宣告は「もしそれが悪性腫瘍ならば」の仮説であり、それが増殖と転移する癌細胞かどうか検証せずに、診断、また治療として 抗がん剤・放射線・手術が行われるというものである。
そして、何もしなければ 数か月の命だと脅すのは、いかがわしい宗教の「もし壺を買わなければ 不幸に陥る」というインチキと同じレベルのものである。
癌というのは症状であって、病名ではない。その原因が何かはわからないものである。
いわゆる蕁麻疹のようなもので、原因がわからない症状のことを癌といっているといってもよい。
上記の、最新医療の寄生虫による癌治療というが、そもそも、それが悪性腫瘍だとしたらの仮説治療の話であり、それが悪性腫瘍かどうかも、また、癌という原因も不明であるのに、そうした寄生虫癌治療が有効かどうかもあやしいことになる。
そのため、癌と診断されても、何もしなくても、自然治癒することはありえることである。
アレルギーのよる痒みをおさえようとして、その湿疹を切り取ってしまえば、それがよけい化膿してしまうこともあるし、痒みをおさえる薬をぬって、その副作用に苦しむこともある。
きちんと原因をつかまえずに、うろたえて、無駄な治療をしつづけるようなものである。
その三日間で、癌で家族が亡くなった人も、また癌治療をしている人もやってきて、まさに、奇跡の出会いと議論があった場であり、私にはその三日間が一年にも感じたしだいである。