リンゴ(富士)の苗をホームセンターで買って、4年前植えた。
特別何もしていない。一本の細い枝に、リンゴの実が7個くらいなって、折れそうになっていた。
写真にとるため、引き起こした。
奇跡のリンゴの話があるが、農薬を使わずにというのだが、それが奇跡というより、それがあたりまえの姿に感じる。
どんな果物だって、もともとは農薬を使わずに自然に育ってきたものではないか。
あれやこれや、リンゴの実を大きく、甘くしようと、手間や金をかけるのが問題なのではないか?
休耕畑の茨の雑草地でも、柿木は毎年何もしないでも大きく実る。
そばに5年前植えた桃の苗がある。
これも何もしないのに、たわわに実っている。
売られているリンゴと桃の違いは、ただ大きさが違うだけである。
枝の剪定や実の振り落としをしないから、そうなるだけである。
つまり、
売るための農業なのか、自分が食べるための農業なのか?
そこで、大きく道が分かれるし、農法も変わってくる。
今年9月に「持続可能な農業」のボルネオ学会がある。
そこで、「売るための農業」ではなく、「食べるための農業」こそ、
人間と植物との共存共栄の道であることを提案したいと思う。