河川敷で、三日ばかりどんどん草刈りしていったら、もっときれいにしたくなって、欲がでてきた。今日は堤防の路傍の草刈りまでした。
汗はびっしょりかいて、まるでスポーツをしているみたいだった。その時間はいつもは散歩をしていたが、いまでは草刈りの時間になった。
そこで、ふと今までの散歩が自分の健康のためだったが、こうして、公共の場の草刈りをしていると、その方が自分にも、他人にももっと有効な健康スポーツに思えてきた。
海岸に流れ着くゴミを一人黙々と掃除を続けていた人がいたが、その人の気持ちがやっとわかってきた。この一人黙々とする散歩や体操やスポーツを、このような公共の場をもっと美しく、また有効利用できるようにボランティアするスポーツにしてもいいのではないか。
というのは、草刈りはかなりの肉体作業で、その運動量は半端ではない。おかげでかなりのダイエットができた。それで、公共の場をみなが使える農地や花園や公園に作り替えるスポーツがあったらいいのではないか。
これを公共ボランティアスポーツと名付けて、全国で、どんな公園や路傍ができたかその採点を争うスポーツがあっていいのではないだろうか。
お金を研究すると、お金は本来は公共通貨ともいうべきもので、みんなで必要なものを使えるようにする道具だということがわかってくる。それはまさに、公共の場をいかにみんなでもっとうまく使えるようにするシステムに思える。
公務員は国民から選任され、公共の場の管理をまかされるわけだが、それがもし国民自ら公共の場の管理をすることの方がもっとよい国づくりができそうに思える。
確かに、それは難しいかもしれないが、そういう意識が多くなれば、公共団体にまかすのではなく、住民自ら動き出して、その地域をボランティア運動するようになっていくように思える。
税金のように払いたくないものを払うというのではなく、自分の収入や持っている財産の何割を公共のために使おうとする意識が慣習になってくるのではないだろうか。
国や公共団体が強制的な税金で運営されるのではなく、寄付やボランティアで運営されたら、もっと社会はよくなると思える。それをうながすことができるのが、自然循環する新通貨システムであろう。
草刈り、私も大好き!
町内の草刈りは、共同作業の楽しさを感じます。
乾燥している時って、どんどん進みますよねー!
止められない気持ち、よく分かります。
体を動かすと、頭もよく働くんですよね。
>miyukiさん
え! miyukiさんが草刈り大好きだってびっくりしました。
僕は東京生まれで、近所で雑草が生えているとうれしくなり、どうして草刈りなんかするのだろう? と首をかしげていました。
でも、いまはじめて、草刈りの楽しさを知ったのですが、それは、草を刈って、そこに花を育てようという気持ちになり、それが実ったことを想像したからです。
野菜も花も雑草と同じ草ですが、人とより共存できるかどうかの違いなんです。
たぶん、楽しさって、夢を見るところが原点なのかも。