河川敷の草刈りをすると、意外なものが出現した。
なんと、
1,物置 2,排水孔 3.ゴミ袋 4.河川敷の立て看板
排水孔から水は流れてなく、ときどき川に流れ込むくらいのようだ。
つまり、ここは、台風などで増水すると、作った畑はすぐに流されてしまう運命である。
でも、長年台風などで増水してなく、生き残った感がある。誰かの畑であったことは確実だったが、それがその人の所有の土地ではないことも確かなことだった。
私自身、ここに長く住む予定はないので、いっときの散歩のように小さな畑を作るには好都合な場所である。畑をするには、今の12月は植える苗がタマネギや枝豆くらいしかないようだ。1つの苗が100円くらいするので、たくさん植えたらお金がかかる。それに、まだ土壌づくりに時間がかかりそうで、来年の春までに、土壌を作っておくことに専念した方がよさそうである。
河川敷の畑づくりで考えたことだが、命の循環とお金の循環は基本的に同じであるということだ。
北海道のアイヌ民族では、「今必要以上の動物の狩りをしない」ことが、動物と人間が共存し、永続できる原理である。
環境を維持するもっとも大事なことは、必要以上のものを生産しないことである。それはお金にもいえることではないだろうか!
「必要以上のお金を稼がない」ということが、お金と命の循環には最も大事な基本ではないだろうか。
そうしないと、地球と人間は共存できなくなってしまう。また、必要以上のお金を稼ごうとしたら、その分だけ誰かがお金に困窮することになり、最後は自分も他人もみなお金に困窮してしまうからである。
お金はあればあるほどいいのではない、必要以上のお金を持たないことが、お金と命の循環にはもっとも大切なことではないだろうか!