隣のブドウ園の休耕園は毎年何もしないで
春に雑草のイヌムギが一面に生え、夏に枯れる
夏から秋に あの引っ付き虫の雑草センダン草がはびこる。
また、お隣の休耕園はイヌムギだけでなく、他の雑草も生えるが・・
除草剤を播いて枯らす。
でも、夏から秋にかけて、雑草センダン草が生い茂る。
つまり、
何もしなくても、イヌムギは夏に枯れ、センダン草は冬に枯れる
除草剤をしてもしなくても、同じ結果で、そこで作物を作るわけではない。
もう、その二件の持ち主は私がここにきて8年も同じことをしている。
二件とも、数年に一回か、雑草刈込機で刈るが、何もしなくても同じことである。
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一体、人は何のために除草剤をまき、刈払い機で、手間と金をかけて雑草を年がら年中するのか?
意味のないことを 単に見かけが悪いからだというだけで、そうしているだけとしか思えない。
雑草の処置だけでなく、
いくらかでも売れる作物を作るために
えらい、お金と手間をかけているのをみている。
お金をかければ売れるのか
お金をかければ楽になるとか
そういうことは逆に、
お金をかえればかえるほど、手間もお金もよりかかるのではないか?
そんな疑問をいつも持たされる。
高価な機械を買えば、その資金を回収しようとして、より手間とより金がかかることがけっこうある。
毎日稼働する農耕機械などほとんどないだろう。
年に数回くらいでも、そのとき楽になりたくて、そうした機械をかったり、農薬を使用して 金と手間をよりかけてしまう。
そんな農業が主流になっている感じがする。
そうした機械や農薬を使うには大きな農場にはあっているだろうが、ほとんどの日本の農場は小さい。
それは
大資本をもった農業経営者がより金儲けでき、大資本を持たない小農業者は貧乏暇なしで、出稼ぎでもしなければやりくりできないのは昔も今もそうであろう。
私だって
畑仕事は道楽であり、単に自然農法の研究のためでしかない。お金は国民年金と、不動産のアパートと駐車場を貸して得ている。
私の家の250坪の畑などで金儲けなどできるわけがなく、それをしたら、赤字がどんどん増えるだけである。
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自分の67年間の人生を振り返って
つくづく感じたのは、お金はお金で稼げ! けして働いて稼ぐな!
ということである。
マルクスが人を資本家と労働者と分けて考えたが・・
私はどんな人間も、資本家であり、労働者であると考え、人々を二種に分類できないと思っている。
知足庵で、
「もし何もなかったら、どうやって生きていく?(働くしか道がないだろう!)」
という質問に私はこう答えた。
「まず銀行に行く。そこで1000万借りる。担保はその金で買う土地と家である」
と。いわば、それは資本家の発想であり、個人事業の不動産業である。
「そういう規模でなく、生活するための20万のお金をどうするか? という問題である」
それについて答える機会がなかったので、
今それに答えたいと思っている。
「近くの市役所に行って、生活保護の申請をすれば、住居費や生活費は合わせても20万円はくれるだろう。」
つまり、「働かなければお金が得られない」と思い込んでいる。
「働かなくても、お金は得られるし、むしろ、お金を資本投下した法が働かなくても十分お金は得られる」
そもそも、
お金は中央銀行でただで印刷される。今はやりの仮想通貨だって、ただで発行されるのである。
ただで発行されたものを貸し借りしたり、売り買いしながら、その利ザヤを金儲けするのが金融業である。
働いてお金が動く実質経済を1とすれば、働かずにお金が動く金融経済は現実では9であろう。
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簡単な例でいえば、
毎月家賃5万円を働いて払い続けるのと、
その家を35年ローンで、で1000万円借り、毎月元利合計5万円を働いて返済すると比較したら、
35年後は借金しなければ一生涯毎月5万円支払わなくてはならないが、借金すれば35年後はその家と土地は自分のものになる。
人が労働者としてだけ生きるか?
人が資本家事業者として生きるか?
それだけの選択で大きく変わってくる。
人はどちらにもなれるのである、
お金の仕組みと労働の構造はまったく違う。それらは10%交差してても、90%は無関係である。
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「持続可能な農業」を考察するには、
まずもって、「働くこと」と「金儲け」とは別々に考えていくことが必要だと思える。
これは
将来、各国がベイシックインカムを国の基本政策となるだろうと予測でき、
それは労働と金儲けをはっきりと区別することから、今起きている世界の貧困と富裕の矛盾解決への糸口になるだろう。