[7月11日(水)〜17日(火)]松形恭知 作陶展
初日の正午に担任の恩師もいらしてクラス会が始まった。
私は西武デパートが西口にあるかと思ってそちらにいったが、東部デパートだった。反対側の西武池袋線側にあり、10分ほど遅れた。
展示作品はみな一点もので、即販売されていたので、まさに取り合いだった。
なんとレジに並ぶくらいであり、私もあわてて欲しかった湯飲み、飯茶碗、どんぶりをゲットし、お金だけ払って、8階のレストランでクラス会の食事をした。
作陶展に戻ったときには、写真のメインの壺は売り切れていた。
思うに半日で、半分の作品が売り切れてしまった感じがする。
松形氏には特注は快くOKしてもらえた。
帰宅後、彼の作品で飲み食いしたら、特注でなくとも、十分元気をもらえたので、これもありかなと考え直した。
当日、送ってくれた写真を見て驚いた。松形陶工も冗談でいっていたが、私の作務衣姿が様になっていたので、私の方が陶芸家に見えるといったように、なんと私がメインの写真で、これはまさに勘違いされてしまう。
松形陶工は向かって右、三枝幹事は向かって左、北地先生は松形陶工の後ろで、杖を持っている。
恩師の北地先生は、90歳半ばで、なんと老々介護をしている本人だった。
奥様を90歳にして、介護しているので、食事をする時間もなく、足早に帰っていった。
これは元気をもらおうと、別れ際にハグさせてもらった。
ハグする時、「今生の別れになるかもしれないので」といったら、恩師「おいおい、まだ死なんぞ!」とますます元気だ。杖なんか必要ないくらい、50年前の背筋がまっすぐ姿も、ほとんど変わっていなく、快活で元気そのものだ。
それに、集まったタメは現役バリバリの働き手が多く、定年すぎているのに、引退もせず、バリバリ働いており、それも急遽決まったクラス会に来られなかったタメを含めると、80%くらいが忙しい現役で、欠席した大学教授のタメも老々介護をしていたのも思い出した。
渋谷の笹塚に戻り、店を任せているNさんとその作品をカフェで広げながら話していて、その話がビットコインや株になったときに、ふと気が付いた。
株 FX 仮想通貨 そして、労働そのものが、金儲け欲望に操られ、数字を追いかけて、忙しく右往左往させられている姿・・まさに操り人形・・・が見えてきた。
そうした金儲け操り人形でない生き方をしようとしているのが、松形陶工もそうだし、わがタメの心情も見えてきた。
金で動かず、心で動いている
老々介護だって、50年前の同輩に集まるのもそうだ。
翌朝、テレビのスイッチを入れたら、働き方改革の話があった。聞きなれないRPAを連発している。
調べたら、Robotic Process Automationの意味で、
単純作業の三種の機械化で、
ブルカラーの単純作業を ロボットで。
ホワイトカラーの単純作業を パソコンで自動処理化するRPAで、
マネーゲーム・ギャンブルなどの単純作業を 高処理できるAIで
ということである。
AIは碁・将棋でも、そのトップ騎士に勝つ。人間の知能ではコンピューターのソフトには叶わないことが実証されている。
それは、株・FX・仮想通貨のマネーゲームの金儲け能力も碁と将棋と同じようなソフトを作ってAIにやらせれば、人間が金儲けするより、AIの方がはるかにすぐれた投資と判断をして、金儲けをするだろう。むしろ、ほとんど失敗がなく、損失はなくなるだろう。
金儲けは単純な投資作業であるからだ。
ギャンブル依存症は勝ったらまた儲けたくなり、負けたら悔しくてまた挑戦したくなる。そういう単純なやめられない心理作業の繰り返しでもある。それはまたAIに任せられる作業でもある。
ロボットもRPAも、AIも、24時間365日働いても、けして疲れないが、
人間はそれを同じ単純作業に追われれば、疲れ、しいては人間性喪失としてうつ病や自殺まで追い込まれる。
もし、忙しく働いて疲れるようだったら、それは人間的な働きをしていないと判断した方がいいだろう。
もし、どんなに働いても、ちっとも疲れないのなら、それは人間的な働き方をしていると考えた方がいと思える。
人は強制的に金で働かされるが
人はけして金では働かず、心で働こうとする。
その心というのが、
ロボットやRPAやAIにはできない
提案、判断、接客、研究開発であろう。
AIはどんな碁や将棋にも勝てるが、新しいゲームの碁や将棋を作ることはできない。
ルールに従うことはできても、ルールを作ることはできない。
これは従属的に生きるか、自由に生きるか?
その違いであり、人間らしく、自分らしく 楽しく生きられる道を見つけ出す判断でもある。