夢か現実か?

こんな夢を見た。

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買ったばかりの自転車であるところに行き、

つい鍵をかけずにそこから離れて用事をすました。

もどって、自転車に乗ったが・・

どうも自分の自転車と違う。

性能はそこそこいいのだが、ふと後輪をみると

鍵が壊されている。

そこで自分の新品の自転車を盗まれたことに気付いた。

腹が立つのは盗んだやつのことだけではなく、

どうして鍵を閉めなかったのかと、自分を責めたこともある。

あまりに自分の不用心にいらだちが隠せなかったが・・・

よくよく考えてみれば・・

自分が新しい自転車を買ったのか?

ひょっとして これは夢ではないのか?

現実的にはどうして古い自転車と入れ替わるのか?

新しい自転車なのにどうして鍵をかけずにその場を離れたのか?

もし、これが夢だったらつじつまがあう。

よし、夢ならリセットできるので、これはなかったことにしよう。

そうすれば腹がたたないだろう。

すると

目が覚め、そのいらだちが夢の中の事件だったことを知った。

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夢とは仮定の話である

 

大橋教授が、医学はみな

「仮定の仮定を繰り返しているだけだ」

つまり、そこに真実はないという意味だが・・

私が自転車を買って、鍵をかけ忘れたという夢も仮定の話であり、

それが現実(本当)のことと思って、自分を責めていらだつのは実にストレスがたまる。

こういう悪夢のような夢は「もしも 自分がこうだったら」という仮定から空想されて、その喜怒哀楽で右往左往するようなものである。

大橋教授のいう仮定の仮定の繰り返しとは

夢のまた夢、そのまた夢を見ているようなことであろう。

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「無いものを有る」また「在るものを無い」

   という信心もまた仮定である。

 

神という絶対的存在が無いものを有ると仮定するのが

まさに宗教である。その仮定(神が事実存在するならば)が信じるということである。

「信じよ、さらば救われん」

その仮定を信じれば救われるが、その仮定を信じなければ救われないという意味である。

それはその夢を本当と信ずれば救われるが、その夢が本当でなければ救われない。

宗教を信じるものにとって、その信心の中で、喜怒哀楽、奇跡や悪魔までみるのはまさに夢の中で右往左往するようなものである、

私はいくつかの宗教を信じてきたが・・結局、私が救われたと感じたのはその宗教から脱却したときである。

つまり、仮定の夢から本当の現実に目覚めたときである。

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トラウマもまた仮定の夢からくる悩みである

 

ずいぶん昔経験したことを、今はそれを経験していないのに

同じ経験をしているような仮定としての夢をみる。

その昔の仮定で、夢をみて悩むのである。

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宝くじも仮定の夢の話である

 

もしも、宝くじが当たったらという仮定を空想し楽しむ自分ドラマである。

ほとんどの映画やドラマはみな仮定の仮定を繰り返す空想を楽しむようなものである。

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医学が仮定の仮定をしているだけならそれは宗教と同じである。

 

免疫学の専門家の大橋教授は医学は現代の新興宗教であるとも言い切っている。

特にそれは癌について如実に現れるようだ。

検査技師が癌細胞を顕微鏡でみて、それがヘンテコな姿をした細胞ならは悪性の癌細胞、ヘンテコでない細胞なら癌細胞ではないと仮定し、その癌細胞を実際に、増殖するか、転移するか 実験検証せずに医者につけ、医者はそれを癌細胞と仮定して、患者に、

「このまま放置すれば何か月の命です」

と占う。

つまり、検査技師も、「ヘンテコな細胞」を検証なしに「悪性癌」として、信じ、その意志の言葉を信じた患者がまさに仮定の癌で、占いの数か月の命を信じる、まさに宗教的占いと抗がん剤・放射線・手術の高額医療詐欺を行うようなものである。

今の科学技術では

「ヘンテコな細胞」が増殖するか転移するか、ネズミのモルモットで実験検証しないとできないが、人間とネズミとは違う細胞なので、その実験検証はできない。

また、シャーレで、「ヘンテコな細胞」を培養しても、それはみな増殖しないので、確かめようがない。体内では悪性細胞も、良性細胞も、増殖するので、増殖するだけでは悪性か良性かは判断できない。

問題はそれが転移するかどうかである。

どの転移が、その「ヘンテコな細胞」を切り取ったり、放射線を当てたり、抗がん剤を塗ったりしたら、転移しないか? というのではなく、むしろ、転移を増長させることにもなるかはまた不明である。

しかし、

アレルギーや虫刺さされで、発疹したところを掻けば掻くほど、それが化膿したり、広がったりすることはよく経験することでもある。

まして、

「ヘンテコな細胞」が良性だったら、そうした手術・放射線・抗がん剤によって、いじりすぎて、よけい化膿、転移、免疫力をなくしてしまうことだってありえる。

つまり、

今の癌治療は

「ヘンテコな細胞」を悪性癌として仮定夢で、なんとか治そうと必死になってあがいているようなものだともいえる。

だが、

その「ヘンテコな細胞」が悪性癌でなく、良性癌で、自然に消えるか転移しないものが現実である可能性はある。

だからこそ、

検査技師と医者の仮定を信じるか、信じないかで、そのドラマは大きく変わる。

だからこそ、

検査技師や医者のような他人のいうことをそのまま信じないで、

そのヘンテコな細胞が悪性か良性かの判断基準が検証できないことをまず知ることは夢から現実に目覚めることでもある。

そして、

自分が納得いくような道を自然の姿に照らし合わせて、他人の悪夢や占い医者に迷わされないで、自分の健康を守るようにしていきたいものである。

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その仮定である夢に迷わされず、

しっかりと

この現実を味わいながら生きていきたいものである。

 

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