税金って何だ!?

1.国って何だ?

 私たちが国とか公共とか社会というものが存在すると思いこんでいるが、それは本当に実際に在るのだろうか?

 それはただの個人の寄せ集めた姿であり、その数の大きさの違いであり、それをどんなに求めても、個人の姿になる。つまり、国とか、社会というものは実際は存在していないのである。

 社会のため、人のため、世界のため、国のため・・・・などということも、まさに存在しないもののために何かをするようなものでおかしなことではないのか。

 でも、法人や神様仏様と同じで、個人の形のような集合体が存在しているように思えるのはなぜだろうか?

 社会主義国家が崩壊したのはどうしてだろうか?

 それは社会というそのものが存在しないものだから、それを存在すると思いこんでいた姿が崩壊したにすぎないと言えないだろうか?

 神仏や国や社会を求めていくと、最後に行き着くところは「自分自身」の心の姿になってくる。神仏や社会が自分自身を映しだす鏡のような働きをする。

 つまり、神仏や国や社会というのは、自分自身の心の姿を表したものにすぎないのである。その視点を展開すると公共というのは単に人間関係やコミュニケーションのことを表現しているだけにすぎないのである。

2,税金って何だ?

 国や公共団体に強制的に税金を払わなくては生きていけないが、そもそも税金は誰のために払うのだろうか? 

 国や社会という存在がない相手に税金を払うとどうなるだろうか? 

 国や社会の姿そのものが個人の存在なので、自分のところに税金がもどってくるか、特定な個人のところにその税金が行くということになる。多くの国民は税金を払うのが嫌である。その税金が自分のところにもどらず、他人のしかも嫌な特定なところに行くからではないだろうか。

 今の日本の国や地方の借金合計が大体1000兆円あり、今年の国民の税収が50兆円、さらなる借金が50兆円であるから、それを個人でいえば、借金が1000万円あり、今年の年収が50万円、さらなる借金が50万円追加して生活していることになる。それでどうして生活できているのだろうか?

 その答えは簡単である。借金する相手もまた同じ国民である自分自身の個人であるからだ。自分が借り手であると同時に貸し手であるからである。国民、国という存在そのものがありえないので、単に心の幻想の姿を見ているだけにすぎない。自分で金を貸し、自分でその金を返していく堂々巡りの空想をしているようなものである。

 それにしても、所得税、消費税、ガソリン税・・・などたくさんの種類の税金はあるが、まるで、手かえ、品かえて、言葉たくみに相手からお金をしぼりとろうとしているような姿にみえる。しかも、この税金は自己申告が基本なので、正直に申告しないと刑罰を与える。

 でも、税金を支払うと何倍も膨らんで自分に返ってくるとなると、ちょうど、政治家への賄賂みたいに、なんとかたくさんの税金を払おうと必死になるだろう。でも、ほとんど返ってこないならば、脱税に知恵を絞り出すだろう。

 今のお金はその数字がどんなに時が過ぎても、その金額はけして変化しない。それは物理学でいう慣性の法則のように、宇宙に漂う石ころに10の力をかけると、その石はどこまでも宇宙のはてに向かって一直線に10の力のまま動き続けるようなものである。

 しかし、地球のような大きな重力のある近くをその石ころが通りすぎると、月のように地球の周りを延々と回り続ける。石ころの運命は宇宙の果てに向かう時間のような一直線ではなく、同じところを延々と回り続ける円周運動をするようになる。

 お金に貸し借りの力をかけると、お金は円周運動のように、回るようになる。今のお金の循環はこの貸し借り運動から成り立っているので、お金そのものが債券の姿を呈している。しかし、貸し借りは地球のような一定の重力ではなく、人の信用だけで動いているので、その力はあてにはならない。金融恐慌は生まれるのはしごく当然のことである。

 それに、貸し借りに利息を付けてしまうと、地球の重力が一定ではなく、増えていくようなもので、そのお金という石ころは増え続ける重力で、地球そのものに吸収落下してしまう。それを防ぐには金利を払うのではなく、元金までも払わないようにすることで、循環を保とうとするが、それは信用を失うことなので、貸し借りの循環運動そのものを否定することになり、やはり、失速し、貸し借りの経済基盤そのものを変革せざるをえなくなるのである。

 税金をお金の循環として考えてみると、税金とは個人と国の間で起こる循環ということになる。国とは単なる個人の寄せ集めだから、お金の一時的な貯蔵庫として考えることができ、国民全体から集めたお金をまた国民に配分するのが税金ということになる。その場合、税額合計額と配分額は同額になることで循環する。

 しかし、国が借金経営で、利息があるため、すべてのお金が借りる貧乏人から貸す金持ちに流れるようになっているため、この税金循環はいずれ行き詰まることになる。それが不景気である。金持ちにはどんどんお金が集まるが、貸すと損をするので貸し渋りする、借りる方も返せないので借りなくなって、この循環は確実に止まってしまうようになる。

3.循環する税金にするには

  お金の貸し借りでは、お金そのものも、税金も確実に循環できない。そのため、なんとか循環できると信じ込ませるあらゆる言い訳に当たるのが、たくさんの種類の税金である。

 人の言い訳のような税法ではなく、物理法則のような確実に目的を遂行するような力にまかす税法を作れば確実に税金は循環するようになる。

 つまり、人の信用で成り立つ人間の力ではなく、自然の当然の力で成り立つ自然の物理数字の力を使えばいいのである。

 これは、算数の問題であって、税金を集め、配分し、さらに集めさらに配分するという繰り返しをする運動法則にお金を従わせればいいだけである。

 そのためには、どんな言い訳もしないで、税金をお金そのものに課せばいいだけである。お金とはある意味では個人の所有権の大きさみたいなものである。

 世の中に個人しか存在しないのだから、どんなお金も確実に個人の所有権の範疇にはいることになる。お金は現金という姿だけでなく、水のように個体、液体、気体に姿を変えられ、不動産、現金、株のような債券の姿になる。これらの個人のすべての総合した財産そのものに税金を一律に課して、国という一時的貯蔵庫にお金を集め、その集めた金額を、そのお金を真に必要とする国民個人に配分すれば、確実に循環する。

 配分する基準は簡単である。健康で文化的生活が送れるような基本的人権に合わせて配分すればいいだけである。そして

配分されたお金でもって、自由競争をしてトップをめざす楽しみを謳歌すべきであろう。自由競争と基本的人権配分はセットで始めて、力強いお金の循環ができることになる。

 これをまとめてみれば、貨幣の貸し借りでお金を循環させる中央銀行システムをやめて、1つの基本的人権税法システムでお金を集め、配分を繰り返すことで、経済は物理の慣性の法則のように確実に循環することになる。そのため、国民の一人もお金で苦しむことはなくなるだろう。

 常にどんな人も夏はクーラーで涼しく、冬はヒーターで温かく過ごせるようになることができるということである。

 

 

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