わが子の自立を願って些細な甘えを許さなかった時
予想外の展開が起きた。
親子逆転の、子が親をしつけるような会話と態度になった。
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「甘えから強要が起きる」
ことを知った。
甘えとは依存であり、依存から強要・強制・命令が生じる!
奴隷制や独裁制から隷従・支配・所有が生まれる。
「強要(強制)から甘え(依存)も生まれる」
とも言えよう。
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健康と自然の会の最終回で、精神障害者のほんの些細な問題が起きた。
身体障害者は他人には明らかに社会的自立が困難に見えて理解されるが、精神障害者は見かけは健常者と同じなので、社会的自立が困難だとは理解してもらえない。
そのため、健常者は精神障害者を自分と同じ立場として考え、接してしまうので、障害者にとって社会的自立を妨げるような逆効果の対応をしてしまいやすい。
例えば、
普通に働いて自立生活するのが困難な病気なのに、まず働いて自活するようアドバイスすることは、足のない人に普通に歩けというようなものである。
精神障害は生死を分けるような肉体的精神的社会的強要から生じることが多く、特に戦争におけるPTSDが知られている。
極度の強要に対して、どう対応するかで、精神障害も変わり、中には、その記憶喪失になって自分を守る人もいるが、多くはその強要の環境から逃げられない場合は、それに服従・隷従し、逃げられれば、逃避する。
これらの服従と逃避をポジティブに表現したのが甘えと諦めである。
社会的にいえば、強制と依存関係である。
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病的障害の甘えと強要、依存と強制から健康的に抜け出す方法は
自立と自由な考え方と環境である。
どんなにすばらしい考え方でも、その考えに
「・・しなければならない」「・・でなくてはならない」「・・すべきだ」
という裏の響きがあった場合は、それは相手への強要と甘え(依存)であると判断チェックして、聞き流した方が無難である。
自分がそんな話し方になっていたら、相手への強要だと反省チェックした方がよいだろう。
甘えと強要(依存と強制)から自立と自由への脱却への会話は
1.甘え強要する人の話が終わるまで黙って聞く。
聴く態度まで強要されても、それに従わず、
あまりの暴言や暴行があるばあいはその場から離れ、
話の内容がころころ変わっても、返事せず、相手の話の要点を整理する。
2.自分が話していいか? 了解してもらい、
それに関する事実・出来事だけを話す。
最初に、自分の意見は述べずに、その事実に対しても正直な感想をのべる。
3.質問された場合、その答え(意見)を言っていいか?聞き、
その答える時間と、答える間けして話を遮らないように約束してもらう。
もし、さえぎったら、また、「答えていいか?」「制限時間内に、話を遮らずに聞いてもらえるか?」と何度も再確認しながら、意見と感想を言う。
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この3つの方法で私はいろいろな問題をクリアしてきた。
だが、
一番誤解されているのが、
自立=経済的自立
と勘違いされていることだ。
自分で働いてお金を稼ぐ経済的自立が自立だと思い込まれている。
働くことと、お金を稼ぐこととは別次元のことである。お金に無関係な経済的行為でないボランティアも働くことであるからだ。
自立=社会的自立(ボランティア活動も含む)
お金は一つの法的システムであり、それは自然から離れた人間の欲望を基盤に成立したものである、主に需要と供給によって、増減する数字である。
そのため、病気や障害などのように、お金で解決できない問題がたくさんある。
とくに、愛や精神的自立などはお金では買えないものである。
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私の精神障害者へのアドバイスは、身体障害者にように、
知人や親に甘えず、公的な生活保護をまず受け、自分ができるボランティア活動しながら社会的自立を めざすことでその障害の克服である。
私の子への夢実現へのアドバイスは
必要なお金は利息が付く企業から借りるのではなく、利息が付かない親から借りることで、無理のない返済をしながら社会的自立をめざすこと。
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