野菜を食べると生ゴミが出る。
リサイクルとか、自然の循環とは何だろうか?
それは生死の繰り返しだと思えるのだ。
光が波であるように、命も波であるように思える。
もちろん、自我は時と同じで一回生ではあるが、命全体となれば生死の繰り返し、自他の交代ということではないだろうか?
これを野菜から生ゴミ、生ゴミから野菜という繰り返しをすることが、命の循環であり、数字からいえばお金の循環になってくる。
リサイクルというのもそうで、生死の繰り返しのように、生産と再生産が繰り返されないと、環境破壊・命の自滅を引き出すのではないだろうか。
そこで、生ゴミから野菜作りの命の循環を畑の畝作りで実験してみたくなった。
私の家庭が半年で作った生ゴミ堆肥はほんのわずかで、ベランダの植木鉢くらいの量でしかないので、その町の生ゴミを全部集めないととても足りない。そこで、荒れ地に育った雑草をそのまま堆肥にさせてしまおうと思った。
そして、堆肥でない雑草の下にある土をその上に盛って、そこに野菜の苗を植えればいいのではないかと思った。そして、畝の下の方には、生ゴミや雑草を捨て、そこにある土と混ぜて堆肥を作れば、野菜と生ゴミ(+雑草)が生死の循環のように、永遠と繰り返す命の姿を現すのではないだろうか。
リサイクルとは大小のサイクルがあるが、基本的に命の生死の循環であることが必要で、石油のように、薪とは違って、生死が循環しないようなエネルギーは命の環境を破壊し続けるように思える。
もし、石油が命の循環をするなら、石油を消費して、再び石油を生産できれば、命の環境は守られることになるはずだ。それができなければ、やめて、エネルギーが循環するような自然エネルギーに変換しなければならない時代になってくるのは当然の帰結なのだろう。
まあ。実験されるのですが
冬にしっかり土を作って
春に野菜の種がまけるといいですね
小さいころ
煙草の土を作るのに、落ち葉を集めに山の中に入りました
その落ち葉を一か所に集めて発酵させるんです
春になるとそれを田んぼに巻いて耕運機で混ぜ煙草の土を作っておりました
その父の姿を見ているからでしょうか
家を引っ越すときに、どうしても捨てられなかった本があるんです
自然農法「わら一本の革命」著者「福岡正信」
本当に感動したのでしょうねえ
もしよろしければ、参考になさってください
私ももう一度読み返してみます
>ののさん
落ち葉を拾い集める姿は丹波山でよく見かけます。生ゴミが少ないので、私も落ち葉を拾ってこようと思います。落ち葉と生ゴミをませるとよく発酵するようですね。
自然農法「わら一本の革命」著者「福岡正信」は読みました。ただ、それを実践してその結果になるのがとても難しいようで、いろいろな人が同じ方法や他の方法を試して悪戦苦闘しているようです。その理由を知ってみたいので、自分なりに実験したくなっています。
私も引っ越しや次の仕事をする際に、どうしても捨てられないものがあります。
それは次の仕事でも必要なものかもしれませんね。
私の目的は生産者と消費者をどう結ぶかなので、都会の生ゴミ→田舎の野菜生産→都会の消費→都会の生ゴミ再生産を、どう実現、循環させるかです。お金の循環と基本的に同じなんですね。