人間法と自然法

 もう数十年来の友人からお金を貸して欲しいと頼まれた。

 そこで、私はこう答えた。

「お金は貸さないけれど、あげる。もし貸しても返してくれなかったら、その間ずっと嫌な思いになって、返済を要求しようものなら、お互いに傷つくだろうから」

 地域通貨が愛の通貨と言われ、法貨に情がないと言われる。

 それは、お金が譲受で成り立つ地域通貨と貸借で成り立つ法貨との違いでもある。

そもそも、

 自然のものは誰の持ち物でもないが、人間のものは誰かの持ち物であり、所有権が保証されている。

 人間が創る法は所有権を保証し、それを違反すると強制で罰せられる。

しかし、

 自然が創る法にはけして所有権はない。自然が大空と大地の所有権を主張したら、人類も、どの生き物もそこで生きられないだろう。 

 我々がどんな知恵を絞ったところで、自然の法則に逆らうことはできない、できるとしたら、人類の法だけである。

 お金のシステムは、人間の法による貸借の強制力で成り立っている。その原動力は貸借の信用貨幣である。この信頼関係は常に脅威にさらされており、人工衛星をとばせるほどの確率信用もないだろう。

 このお金のシステムをもっと信頼に足りるものにするには、自然法にのっとったものにすればいいのである。そうすれば、誰も逆らうことも、傷つくこともなく、おだやかな日だまりのような生活が築かれるだろう。

 お金の貸借をやめて、譲受にしたら、どうなるだろうか?

自分にできることをし、自分にできないことはしないだろう。ただ、これだけの関係になって、よけいな自他のわずらわしさからかなり解放されるはずである。

そもそも、私たちの命は誰のものであろうか? 他人の誰のものでもない、自然に生み出されたものであるから、自然のものではないか。

先日、お金のシステムを貸借をやめて、譲受する減価貨幣システムにする提案をしたのはこのためでもある。

どんな堅固な岩石も、自然の水と空気も火で、砕かれ、最後は細かな土となる。どんな生物も、歳月とともに死んでいく。これは自然法である。自然の法則に習って創ったお金は減価する貨幣システムであるから、信頼度は100%近くなるだろうが、人間法による強制で創った増殖する貸借貨幣の信頼度は昨年の経済恐慌で示されたようなものである。

自然の法則にのった科学社会があるのに、原始的なお金の宗教社会がいまだに存在すること自体、私たちの社会は原始時代のまじないや祈祷による政治社会と大差がないといえるだろう。

 

 

 

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