素人力

70歳になって

いろいろな気付きが沸き起こってきた

70年を振り返ると

どんな問題も まず自分で解決しようと試みたことが

その道の専門家にも負けない知識を得ることができたと思える、

この「まず自分でなんとかするという素人力」で次々と奇跡が起きた。

その奇跡は悟り・解決・夢実現というようなものではなく、

小さな気付きのようなものであり、独特な感性、凡人でなければできない技を得た。

これを玄人力に対して素人力と命名しよう!

三年前に、50年ぶりに尺八を吹き始めた。

15歳から始めた尺八を1年続けたが、自分の音楽才能の限界に悩み

師匠に

「音楽は才能ですか?」と聞いたら

「そりゃあそうだよ!」とあっさり言われ

子供の時から音痴だったこともあり、二度と尺八を吹くことはなくなった。

だが、50年後仕事から解放され自分の時間が持てた時

(音楽は才能ではないのではないか、好きだけで十分ではないのか?)

上手くなる必要はない

才能なんかなくていい

人に聴かせる必要もない

好きだけで十分だし

自分だけ納得させる練習だけでいい

3年毎日30分くらい続けていたら、ドレミを尺八で吹けるようになっていた

これは自分にとっては とうてい無理だと思い込んでいた奇跡力だった。

玄人には簡単なことも、素人には難題なことなのだ!

最高の玄人は生まれたときから才能を持つ神であり、

最低の素人は生まれたときから障害を持つ馬鹿である。

この差は何か?

例えば パリまで旅をするとしよう。

飛行機で半日でパリに旅するのと、歩いて70年かかってパリに旅するという差である。

どちらも、旅を楽しむのは同じである。旅の楽しみ方が違うだけである。

つまり

神と馬鹿の差は、その目的に向かって早く着くか、遅く着くかである。

そのスピードを決めるのは自分の好み、自分の決断、自分自身の自分らしさである。

人生の目的は何か?

何のために生きるのか?

人生の目的は人それぞれであるが、

共通の目的は生きるということだけである。

人生は旅とも言われるように、

人生の目的と手段は同じ旅、その旅を楽しむことである。

生き急ぐのも人生、のんびり生きるのもまた人生、

神も馬鹿も、同じ人生であり、違う人生の楽しみである。

 

感謝の言葉の「ありがとう」は「在り難し」が由来であり、

「在り難し」はそのまま「奇跡なこと」の意である。

 

どんな人もこの世に生まれる確率からすれば奇跡な人である。

どんな人生も在り難い最高の幸せを与えてくれる命の姿である。

神仏を讃え、玄人著名人を誉れることに対し、

私は馬鹿で、素人の生き方を賞賛するのを好み、選ぶ。

素人力は奇跡力であり、最高の人生の楽しみ方である。

 

 

 

 

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