生命在るモノには
欲望があり 欲望に因って
生き死にを繰り返す
命無きモノに欲望はなく
在るがまま 為すがママに 変化していく
生命有るものの欲望は
命無きモノのエネルギーと対照出来る
自然は生命有るものと無きモノと合わせ持つものである
人は命持つ故 自我と欲望により
空想し 求め続ける
欲望に限りがないように
命無きモノのエネルギー量は変わらず
ただその形態が変化するだけである
食欲 性欲 物欲 知欲は
自我の生存欲から生まれる故に
主観的な一部の空想的世界になり
絶対的な 自然な真実世界を観ることも 悟ることも出来ない
客観的 科学的な見方はその時代の主流な平均的見方であり 欲望から生まれる故に 一つの考え方に過ぎない
真実は求めるものであり
信じ 信じられるものでもない
信じられるモノは生命有るものの欲望と
命無きモノのエネルギーだけである
欲望もエネルギー自体には形がなく単に動力源であり
他とコミュニケーションしあって 形成され その形はまたコミュニケーションされ 変化し続ける
人が自然というときは
自分の欲望を抑え
命無きモノのエネルギー的見方をするということだ
自然と真実は違う
自然は知ることはできても
真実は知ることは出来ない
人が自然を感じて安らぎを得られるのは
欲望をしばし休めるからである
死は自我のしばしの眠りであり
永遠の休息に感じられるものでもある
自我 魂は生命有るものの欲望を頼りに変化し続け
生まれ変わるようにも 自他の区別が無きモノのようにも 命無きモノの変態の様にも 見えてくる
こう考えていくと
この世あの世で最も大切な宝は
生きようとする意志
また 生まれ変わろうとする欲求であり
真善美を掴もうと 生き 死んでもなお掴もうとする意志であろう