平和な生欲

新型コロナが世界の人口爆発に対して、人口抑制計画という策略で人工的に作られたという説がある。

多くの死亡者を出す感染症は人工的であれ、自然であれ、地球の人類の人口が爆発的に増えることで、その種の生存が危なくなることは確かなことである。

この地球上の生命は多様性とその調和で保たれており、その一種だけが異常に繁殖すればその調和が乱れ、生命全体が脅かされるため、生命の間で数の調整が自然と行われるというのが自然法であろう。

世界の歴史の中で、人口爆発を調整するかのように、世界大戦も、また今も民族宗教間で戦争が起きている。

そもそも戦争は土地の取り合いであり、それはどんな生き物であれ、その勢力の一方が現状よりも大きくなろうとするときに、争いが起こることと同様だともいえる。

現代最も大きな問題を起こしているのは絶対的な価値をもつお金である。貨幣そのものの数字(金額)はけして変わらないということが、絶対的価値を生み出す源泉になっている。

絶対的な存在は、宗教における神仏と同じで、神仏に替わるものとしてお金がそうなっている。絶対的な存在は生命の多様性と調和を認めないために、戦争を引き起こす原因となる。

生命の存続に必要なことはピラミッド型でない円い地球型の社会である。多様性と調和を元にした量的でない質的平等な幸福世界である。民主主義と多数決による支配は相いれない矛盾を引き起こす。量的平等ではなく、質的平等による量的不平等が生命調和と存続させている。

神仏や金銭に替わって科学的知識が絶対的な価値を情報多量によりもたらされてきているが、それも危険なことである。そもそも科学は真実を見出す方法論の一つであり、そうした方法論に絶対的な価値などはもちえないものであり、多様性のように、多くの方法論があってこその相対的価値論にこそその存在価値があるからだ。

食欲、性欲それらの根本にある我欲は絶対的権力を持とうとするもので、争いと不調和をもたらす原因となっている。だとしても、食欲性欲我欲は生欲の基本であり、調和と平和をもたらす原因ともなっている。

生欲と死欲とは矛盾するかも見えるが、生命が生死の繰り返しからなるように、生欲と死欲は矛盾ではなく、生命存続の調和をさせる欲求である。

その生命存続における生死欲の調整は、食欲性欲我欲の少欲によって、もたらされる。それはダイエット 控え目 謙遜な人間性によって支えられる。

人口爆発を調整するために、戦争 病気 不況 倫理 慣習などが変わってくる。そういう生命存続の自然な調和状況において、一人一人が学ぶべく道は少欲という知性的な欲望をコントロールする生き方に、幸せを見出していくのが最も効果的であろうと思われる。

大きな自由は少欲に見いだされ、幸せは謙虚な生き方により多く顕れるように思える。それぞれの環境によって、自由と幸せの大きさは大きく変わってくるが、その本人が良しとする自由と幸せの大きさと質を決することで、世界全体の生命の存続と調和が見いだされるような気がする。

食は必要、性は尊厳、我は謙虚、生は多様な存続に自然の調和があるようだ。

 

生きる死ぬ

平和な命

姿生り

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