河川敷に流れる下水がちょっとした雨が多いと、畑は水浸しになる。
まったく、そんなことを予想をしていなかったが、畝を大きく作ったために、畝の凹部がすべて水路になって、偶然にも見事に水田のような風景になった。
これだと、水田もできるかもしれないほどの期待ができた。それに、一番大変だった毎日の畑の水あげもいらなくなるようなうれしさがこみあげてきた。
ひょっとしたら、何もしないで野菜が育つかもしれない・・・自由になれる! 野菜が自立すれば人は自由に生きられる!
自然の力を利用した機械化による生産によって、人はどれほど豊かな文化生活を得られたことだろう。
そもそも自由って何なんだ?
・自分が何をしたいのか解らない
中学3年の頃から自分がどんな道に行きたいのか迷う人が多い。それが高校卒業まで続いても、まだ決まらないこともある。一度決めてもすぐに別な方向を考えてしまう。こんなことが一生続く人もいる。
・地球開発するが自然破壊になってしまう
地球環境が破壊され、今や絶滅の生物も幾種類も生まれ、石油を燃やし続けたための温暖化による危機、公害が地球自然を破壊する。戦争も核戦争や細菌戦争にまでいき、人類自滅の方向に進んでいく。
自由放任は地獄図を描き、自由競争は自滅へと向かわせる力があるようだ。
・漁獲制限と自由
ノールウエーの鯖漁もそうだが、自然のシステムの制約の中で始めて自由をおう歌できるのではないか。
・娘の車選び
娘が最近普通免許をとった。そして、自分の車を欲しがったが、その車のデザインがどうしても新車になり、親が提示する予算の数倍になり、イライラしていた。お金があれば、自分の思い通りの車が得られる。「金持ちになるぞ!」という気持ちを強く願った。金持ち=自由 という構造になっている。
しかし、昨日、自分の欲しい車の色とデザインをネットで探していたら、予算内で可能な中古の車に出会えた。
ここで、私は自由というのはこういうことだとピーンと来た!
自由というのは自己の欲望が出発点である。この欲望こそ、人間が地球を開発する力であり、生産活動する力になる。お金がいくらでも欲しいというのは、人の欲望がいくらでも大きくなることができるからだ。
欲望というのは無限に大きくなる性質をもっている。小さな欲望が達成されると、さらに大きな欲望が生まれ、それが達成されるとさらに大きな欲望が生まれる。これが止まることはない。
自由とはこの無限に大きくなる自分の欲望が実現されることなのである。
しかしながら、欲望は無限に大きくなるため、自由はけして達成されることはない。
自由は欲望が達成されて始めて成立するのであるから、自由には自然界の制約なしにはけして成立できない。
つまり、自然界の制約=人間の自由 が両立しているということだ。
娘は中古の自分の願い通りのデザインを見つけて、始めて自由を得たといえるだろう。
でも、以前のように、無限にお金がある状態での車選びではけして娘は不満足になり、不幸という境涯を味わうことになるということだ。
お金がいくらでもある方がいいのではない、すべての欲望がかなえられるのがいいというのではない。
自然の制約に合わせた欲望に自由があるということなのである。
確かに,そうですね.欲望は限りがあるからこそ,「自由」と思える.
制限が無い状態で過ごす時間(ニートや引きこもり)ほど,人間にとって自由とはかけ離れた苦痛を味わっているはないような気がします.
欲望は,限りを求めるとキリがないもの,でも,人間の創造力の原動力でもある.
欲望という概念が,幻想(人間の想像の産物)とわかったうえで求めてみると,
案外ヨクボウくんも可愛く微笑ましくみえてくるのかもしれません^_^.
>メルサイアさん
欲望がないと人は生きられません。特に生きたいという欲望がないと、人は死んでしまいます。
ただ、この欲望は形をもたないので、どこをどうつかんでいいのかわかりませんので、実にストレスがたまるんですね。
そこで、赤子の強い握力のように、つかむものが必要なんです。それが自然の制約ではないでしょうか。この制約があって始めて、欲望・願望が実現できるのでしょう。目的は出発点でもあるということのような気がします。