畑に家を造る

 引っ越し先の相手が引っ越し、いよいようちの引っ越しも近づいた。どこまで片づいたのか見に行ったが、最終契約までにはとても住めるようにはならないことが判明した。

 かなりのリフォームと清掃が必要だった。しかし、3月末までに丹波山の家を引き払うようにしていたため、その荷物をどうしても新居に運び入れなくてはならない。

 これを予想して、塩山のアパートの方で4月末までの引っ越しにしたので、生活に支障はなかったが、予想外は、丹波山のたくさんの荷物を新居に置いたら、リフォームや清掃がしにくくなる。

 そこで、ビニールハウスを一つ残してもらったので、そこに1ヶ月間そこを物置にしようと計画した。

 そのとき、「畑に家を造る」という発想が生まれた。

 最近都会ではマンションの中で、小さな植木鉢でいろいろな野菜を栽培して楽しんでいる。家の中に畑があるようで実に楽しい気分になれる。また、銀座のど真ん中で、まったく土を使わないで、電気と水と肥料だけで、野菜ビルが作られている時代でもある。これらはみな家に中に畑を作る発想だが、私はその逆の発想をした。

 畑の中に家を造ったらどうだろうか?

お金の問題解決も、生産とお金の大事さを逆転させることで、新しい経済の道が見えてくることと同じである。

人間が主か、自然が主かという根本的な生き方がここに問われるのである。

動物園は人間社会の中で、動物が檻の中で暮らすが、新しい自然動物園は動物社会の中で人間が車の檻の中で行動することで、迫力のある楽しさが生まれる。

そこで、サファリパークのような発想で、畑の中に家を造れないかという試みをしたくなった。家の中で住むのが大事ではなく、畑で野菜を育てることが中心になれるような家の設計をしたらどうだろうか?

ビニールハウスの中心に畑を残し、そのまわりに家具や生活道具を配置して生活できる空間をつくれるようにする。それにあった家の設計を組み立ててみる。簡単にいえば、中庭が畑になるように家を造るということだ。囲炉裏のある家はとてもくつろげる家のように思えるように、キッチンも、畑の中でバーベキューをするようにしたら、何かとても豊かな生活ができそうな気がしてきた。

 畑は植物を、家は人を育てる

 その根本は自然が人間を育てるということではないだろうか!

 お金のシステムを自然のシステムに適応させるには、こうした実験がかかせないように思える。

 

 

 

 

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