直葬が流行

 今朝、テレ朝で「葬式は要らない」という本が数十万部売れており、「直葬」(ちょくそう)という聞き慣れない葬儀を紹介していた。この直葬という言葉はどうやら碑文谷創さんの造語で、それが社会現象化したようだ。

 彼が直葬を次のように解説している。

「葬式をしない葬儀の形態を言う。死亡後、斎場や遺体保管施設に24時間保管した後、いわゆる葬式をしないで直接火葬に処するもの。火葬炉の前で僧侶等により簡単に読経をあげてもらう等の宗教儀礼をあげてもらうことはある。2000年以降に都市部で急激に増加した形態で、東京では15~20%、全国平均でも5%程度あると推定される」

 この根拠になったのが、

「日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。」

 と、「葬式は要らない」という本に書かれているようだ。私の親の経験では費用は葬儀屋さんに、300万円は使った。結婚式とは違って、香典の合計費用はほとんどそのお返しと飲食代で消えてしまうからだ。戒名代は別に僧侶に対するお布施に入っており、30万円~60万円かかった。

 葬儀屋さんは祖父の代からの互助会という会員制で、20万円くらいの積立をしており、そこに電話するように指示されていたので、業者を選ぶ手間は省けた。その互助会というのがあったのは葬式に多額の費用が急に必要になるためだったのだろうと思える。

 それにしても、直葬が流行になったのは不景気のせいなのだろうか?

 ただ、直葬よりも、以前から家族・親戚だけの葬儀として密葬というのがあるが、その言葉がまた代わって家族葬という言葉になってきた。

 こうした家族葬や直葬が主流になってくる時代がやってきたのかもしれない。「葬式は要らない」という言葉が新しい価値観を指摘したので、その本が売れたのかもしれない。

 こうした時代の流れは、「お墓は要らない」ということで、散骨がまたこれから主流になりそうな気がする。それは、「千の風になって」という歌がはやったことも、人々が死後自然に帰りたいという気持ちに反映されているのではなかろうか。

 私が丹波山に住んでいたときにはとにかく年に数回の近所の葬式に出ざるをえない環境があり、しまいには、それが何か儀礼的に思え、出席をひかえるようになった。田舎では家族よりも近所の者を大事に扱われる葬儀になるので、それがまたえらい神経をつかうことになる。それが嫌で、近所ににらまれる方がその嫌さよりも楽なので、そうなってしまったようだ。

 もし、家族葬や直葬そして、散骨が時代の主流になったら、近所づきあいもかなり楽になりそうだ。近所つきあいは、死んでからでなく、生きている間にもっとしたいものである。

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