「ガラスのような家」
というな中古住宅というのがこの家だ。
リビングのつり下げの蛍光灯の汚れをとろうとして、つり下げるコードとワイヤーのプラスティックのカバーをさわった瞬間!
砂のようにそのプラスティックのカバーがこぼれおちたのだ!
なんと中古26年間の歳月でプラスティックが劣化し、こまかい砂のような状態になっていたのだ!
その26年間きっと掃除されずというより一度も触れずにそのままだったにちがいない。
歌にあるようなすぐにも壊れそうな心を表した「ガラスの家」がまさにこの家だった。
一方、玄関のわきに天上まである下駄箱とコートがけで扉全体が鏡になっている。その扉が壊れていた。
修理しようとしたら、蝶番が2カ所ネジ穴が大きく開いてねじが留められないでいた。そのため、ネジ穴にそれを埋める接着剤を投入して24時間待ち、いざネジを止めようとしたら、他の蝶番すべての位置がずれ、ネジがとれかかっていたことがわかった。8つの蝶番のすべてをとりはずそうとしたら、1カ所だけかたくネジ山が破損していて、どうにもそのネジが動かない。そのため、そのネジ山に溝を作ろうとしたが、うまくできずに、とうとうそのネジを切り落とすことにして、かなのこをひいたら、蝶番をささえる元のネジの2本が抜け落ちてしまった。
そして、新しい蝶番をホームセンターに買いに行ったら、同じものはなく、もっと修理しやすい蝶番を売っていた。しかし、けっこうな値段がするので今までの蝶番を使うことにした。
この作業はまる1日かかり、切り取ったビスをまたホームセンターに買いに行って。とりつけ終了した。
どうして、こんな中途半端な修理をして、そのまま壊れた状態で暮らしていたのだろうか?
修理をしようとしてもっと壊してしまったといっていいだろう。
昨夜、娘が駐車場にさらに、うまく車を入れようとして、車をぶつけてしまったというのもそれにあたる。
どうして、そうなってしまうのだろうか?
それは蝶番の構造と力を理解していないで修理しようとしたからだ。まったく関係ないネジをきつく締め付けようとしたからだ。
その問題には原因がある。その原因を間違えるとさらに問題が大きくなってしまう。臭いものにふたをして、原因を別なものにすりかえてしまうと、こうなる。嘘の上塗りというのもそうだ。
真実を見るというのは、本当の原因を知るということかもしれない。
修理から見える世界とは・・・
・リサイクル品が新品よりも高価になるのはどうしてか?
・どうして二次災害・三次災害が繰り返されるのか?
・小さな問題がどうしてとてつもなく大きな問題になるのか?
その理由が見えるのが修理から見える世界なのである。
楽しそうな工夫生活です(^^)
>pikaさん
苦労あっての楽かもしれませんね