永遠の心の遺伝子

昨夜、ドラマのような夢を見た。

フジテレビで佐藤隆太が演じた「まっすぐな男」・・好きな女の子が父親が誰かも解らない子どもを孕み、その父親になることを決心するドラマがあった。

夢とは不思議なもので、前後がおかしくなっている。自分が佐藤隆太のような役回りになったのだが、それが夢では結婚しようとする女がいて、いざ一緒になろうとすると、「はて? その子どもは俺の子だっけ?」と振り返っても思い当たる経験がない。

そこで、私は考えた。どんな子だっていい。夫婦も血筋は違っているが一番絆が深いように、親子が血筋が違っても、血筋がつながっている親子よりも絆が深くなれる可能性が大きい。

たとえ、結婚しないで独身で一生暮らしても、その心の遺伝子は誰かに受け継がせることができる。例えば、キリストや釈迦のような人の心は数千年たっても、引き継がれているではないか。

 こんな夢を見たのは、昨日、父母の墓の場所を16年間探し続け、やっとその場所を決定できたことに関係あるようだ。

 私は昔の自由葬送の会に入って、散骨主義の人間である。そして無宗教の持ち主であるから、墓など必要ないというわけではない。それは母親の遺言がとにかくでっかい墓を作れというものだったからである。寺には入るな、入るとしたら公共の墓にしろというものだった。

 私は東京の出身だったので、多磨霊園に大きな墓を抽選で毎年申し込んだが、5年たってもいっこうに当たらなかった。遺骨の預かり期限がすぎたので、自分の家に持ち帰り、家に置いていたが、かなり場所をとるので、数年たって、遺骨をハンマーでくだいて粉状の散骨できるものにした。そして、仏壇の中に丁度父母の2体分納めることができた。

 こうすると、引っ越しの際、お墓も一緒に引っ越しできるので、爺婆と一緒にいつも暮らしている感じがある。

 こうなると仏壇や遺骨があっても墓がいらなくなるのだが、どうも「人は自然に帰らないと落ち着かない」という心の遺伝子があるようだ。そのため、散骨は海に流すのが主流であり、墓場も山腹に作り、古くなった遺骨はその土地に埋めていく。そうしないと、世界中の遺骨がどこにいってもあふれてしまう。生きている人間の場所が無くなってしまうだろう。

 では、一体なぜ人は墓を作り大事にするのだろうか? 

 それはまた心の遺伝子を引き継ぐためであり、それが先祖の思い出になってくる。血や骨ではなく、思い出という心である。思い出は言葉や写真になってより伝えることができるため、人は位牌の名前や亡き年やその写真を大事にするのである。

 しかし、過去ばかり見ていると未来がおろそかになってしまうので、亡くなった先祖より次ぎの生きている時代の子や孫のことの方をより大事にする必要がある。

 これが、生まれ変わりする「命のバトン」である。過去をみて未来を築くのが、いわば人類が永続するための学習機能であろう。

 そこで、私は散骨をさらに推し進めた「樹木葬」に注目した。石で思い出を築き、あのモアイの像のような墓石の墓場のような生死の大事さをひっくりかえしたようなことはしたくない。

 生きるという意味は「咲いては散る」桜のようなものではないだろうか。

 そこで、桜の木を1本植えることにした。その桜の木を爺婆のお墓にすることにした。畑を作る際に、草木灰で土壌を酸性からアルカリにするように、ひとつまみの爺婆の遺骨の細粒をまき、その土壌を清め、そこに植えることにした。

 細粒にした遺骨はいろいろと法事などの儀式につかえるもので、ヒンズー教におけるお清めするビブーティーと同じ扱いをしていいような気がする。ビブーティーは牛の糞を乾燥させて粉状にし、そこに香料を混ぜたものである。額の眉間のすりこむ儀式でよく使われる。

 散骨の現代的使い方はお守りのペンダントの中に入れることもある。私は日本人がお清めの塩の代わりをするのがこの先祖の遺骨の砂としては一番適しているような気がする。

 遺骨全部を桜の木の下に埋めるのは娘達が嫌がったからだ。そこでひとつまみにしておいた。それに何かと粉状の爺婆の遺骨は盆や正月などの儀式にも使え、何かと重宝するからだ。

 桜の木の前に朽ちてしまうような木のメモリアル看板を丁度桜の苗木を支えるように作ろうと思っている。

その場所は、南に日本の美しい三大夜景が見られ、東の山から朝陽が望め、西の山の夕陽もまた拝める新居の裏庭に決定した。

 私が死んだら、その桜の看板に一つ名前を記入してもいいし、その場所はまだ10本くらい桜が植えられるので、追加して植えられるようにした。

 法事は毎年桜の花見の季節にするようにすれば湿っぽくない明るく楽しい法事になるだろう。そこで、命のバトンを、永遠の心の遺伝子を感じ取っていくようにしていきたいと願うのである。

PS

 翌日、桜の苗木を買いに行ったら、売ってなかった。時期的にもう遅く売れないからだろう。

 そこで、サクランボの苗木を買うことにした。西洋では桜というとサクランボの木のことをいうらしい。観賞と同時に実もなるのは実益がある。

 いくつかの種類があったが、

 すでに実がなっている、背丈60センチくらいの「実付きサクランボ暖地 桜桃 6号」というのを1780円で買った。

 その説明が、

落葉中高木 観賞期4月5月、ミツバチに受粉させた実付きサクランボです。

よく日の当たる場所、土の表面が乾いたらたっぷりと与えてください。

花後に緩効肥料を施します。

剪定は初夏に樹形を整える程度に行います。

 写真入りの裏側の説明には

暖地サクランボ バラ科サクラ属

自家受粉が可能な品種で比較的暖かい地域でも栽培できるため、家庭栽培用に広く普及している品種です。多汁で芳香のある実をつけます。

庭植えの場合・・穴には用土として赤玉土(鹿沼土)6、パーク堆肥4の割合でよく混合したものをお勧めします。堆肥としては用土の上に固形肥料を与えてください。

 とあった。

小雨が降っていたので、昨日掘った穴に植え込みした。堆肥はうちの生ゴミでつくったものを後であげることにした。

 実がいくらか赤みがかっていて、植え込みする最中ぼろぼろ落ちてしまったが、それでも、まだまだ付いているのでどんな実がなるか楽しみである。

 それよりも来年の春が待ちどおしくなった。

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