頭脳畑

 今の環境に代えて、どうやって畑を作ったらいいのか? 

 但し、畑の知識はまったくない、また先人と同じやり方はけしてしたくない!

 こうした心で、いろいろと考えている。

 すると、

 考えている頭脳が畑としてリンクしてくるのだ。

 頭脳から生まれ出る想念が畑から出てきた芽である。

 種というのは、「こうしたいという」欲求である。

 畑をそのまま放置しておくと、いろいろな雑草が生えてくる。それとリンクするのが、頭脳をそのまま放置しておくと、いろいろなことをしたくなったり、妄想がたくさん生まれたりする。

 頭脳と畑は実に似ている。

 頭脳が「わかった」と喜ぶときは、畑に花が咲いたときと同じである。

 我々が思い通りに成し遂げるときは、頭脳t畑が同じ姿をしたときの状態である。

 この頭脳は人間社会であり、この畑は地球環境である。

  私はお金の新しい流れをこの畑で試したいと思っている。お金の社会は人間の頭脳であり、畑は地球環境である。そう想うと、実験可能だと思えるのだが、かなり抽象的で現実的に不相応であろう。

 でも、抽象から一つ一つ具現化していけば、いつか到達可能であると信じられるのである。

 ともあれ、

 今の私の頭脳は真っ白なキャンパスになっており、そこに、「こうしたい」という欲求種があるだけである。そして、まだその種をどう植えたらいいのか、その設計図ができていない状態である。

 そこで、この頭脳畑にいろいろな種を蒔いてはそれがどう成長するのか展開させて、その設計図を創り出している。頭脳の展開と実際の畑の成長と同じになると、「やったあ!」と感激するが、違うと「だめか!」となる、その繰り返しである。

 人は想像だけでは空回りして本当の喜びが生まれない。実際に試してその結果が生まれて始めて喜怒哀楽ができる。そんな感じがまさに生きる姿にリンクしてくるのである。

 それにしても、頭脳と畑が同じ土俵だとは・・・雑草は雑念と同じ姿なんだ! もし人は何もしなければ(何も考えなければ)、他の生物と同じ環境になる。

 もし人は何かをしようとしたら、多の生物と違った人間社会が築かれる。人間らしさは何かをしよう、考えるところから生まれてくるのだろう。その答えは常に地球環境が与えてくれている。

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