お金のシステムを研究しようとして、最初に勉強したのがゲゼルの「自然経済学」である。そこから、いろいろなお金の姿をみることができた。だが、それが本当に現実的にうまく稼働するのかは国の政治がそれを試行、または実施する必要がある。それを試行することさえも、国はあと100年たってもやりそうにない。
そのため、理論と思想だけで止まっており、さらに研究する気持ちが失せてしまう。夢はかなえるものであり、夢は思想や理想であり、それを実現するものである。だが、この夢は国が試行しなければ無理である。
たった1人でも、自然に合わせた経済が実践できるとしたら、自然農ではないだろうか?
生きる基本は「食べる」ことから始まる。経済だって、基本は金儲けではなく、やはり「食べる」ことから始まるはずである。
金があっても、そこに食べ物がなければその金はなんの用も足さない。
「奇跡のりんご」を生み出した木村さんの話を聞いてみると、農業の在り方がそのまま自然経済と重なってくるのである。
「いつか必ず来る、その日に備えて・・・・。エジブトもメソポタミアもインダスも、古代文明に繁栄した土地はことごとく砂漠化した。森林を伐採し、破壊尽くしてしまったからだ。けれど、我々が笑っていられるのは、単に化石燃料を使う技術があるからにすぎない。森林が消えても平気でいられるのは、まだ滅びていない遠くの森林から木々を運ぶことが出来るからだ。ある土地が砂漠化しても、また別の土地を畑にすることができるから、何が起きようが知らないふりをしていられる。農薬や肥料を与えなければリンゴが実らないのとまったく同じ意味で、現代人は農薬や肥料がなければ生きていけなくなっているのに、そのことの意味を真剣に考える人は少ない。)
いつまでもそんなことを続けられるわけがないのだ。化石燃料が枯渇するのが先か、それとも環境が回復不能なところまで破壊されてしまうのが先かはわからないけれど、いずれにしてもそうなれば、農薬や化学肥料が不可欠な現代の農業が破綻することは目に見えている。」(奇跡のりんご P195-196)
経済における「金儲け」は自然農の「農薬」に、経済の投資は自然農の「肥料」に重なって見えてくるのである。貨幣そのものは化石燃料であるオイルマネーで造幣される。そして、お金は「食べる」ための生活経済から遠く離れ、投資というギャンブル経済が90%になってしまった。
ここは山梨市だから、隣の畑は桃とブドウであり、毎日のように農薬散布しているのは、木村さんのリンゴ園の状況と似ている。そこで、私も木村さんの自然農を手本としてまず始めてみたいと思う。
木村秋則さんを紹介したテレビ
自然農について教授と語る木村さん
自然農について独特の語り口1~2