生きているだけでなんくるないさ

日テレの24hドラマ

生きてるだけでなんくるないさ1-2 投稿者 yamutya1

 

生きているだけでなんくるないさ」の録画を観た。

生きているだけで なんとかなるさ という沖縄の方言だ

数々の難病を克服して10年間生き続けた実際の話である。

 

生きる意味を何度も問いかけて 生きる努力をけしてあきらめない主人公である

 

ナポレオンが

「我が辞書には 不可能 という字はない」

と言ったのを ながらく

なんと 傲慢なやつだな と思っていたが

この 生きているだけでなんくるないさ のドラマを観て

 

ああ 生きている それは可能性がある ということなんだ

生きているだけで どんな不可能もなく

可能性だけがある 必ずなんとかなる なんとか乗り越える ものである

 

ナポレオンだけでなく 誰でも

生きているだけで 不可能という字はない!

と言えるだろう。

 

青年の時 なんとか悟りを得ようともがいた

学ぶ意味 働く意味 生きる意味が 私には悟りであった

その悟りは

悟ろうとすることが悟り

老子やソクラテスの言葉の 「不知の知」 がモットーになった

 

今 悟りとは「生きている」と同義語になっている

生きる意味は生きる目的のことだが

生きるだけはその意味も その目的も 生きる である。

 

悟るということは

絶対的存在である仏や神になることであるが

この世にもあの世にも この宇宙全体においても

絶対的存在はない! それは現実的にも 体験的にも 想像的にもありえない!

それは 100%確実 絶対なるものは存在していない ということだ

 

この現実は 不確定 相対的な世界であり

将来 絶対的な死などはありえないのである。

 

実際の主人公はいくつもの難病を克服して10年間生きたが

寿命を克服できなかったといえるだろうか?

私たちの寿命が100年であっても

この雨中時間と相対的にみれば

10年の寿命も 100年の寿命も どんぐりのせいくらべである。

 

今日一日をどう生きたか? それだけでも一生に値するものだ

一日一生 は現実的な姿なのである。

 

主人公が10年間で死んでも

その後 こうして我々にドラマで その存在を教えてもらえる

それは

死んでも また生き返るとも言えるのではないだろうか!

 

生きている ということ

それが最も大きな財産であり

どんな可能性もあるということである

 

生きるということ

それは

不可能と思えることに挑戦すること

ともいえる

 

生きる挑戦に

人種も国も年齢も関係はない

生きていることが最大の宝ならば

生きることは最高に偉大なことである。

 

 

 

 

 

 

 

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終戦記念日

終戦から69年たった

命の歌を聴き

はだしのゲンのドラマを観て

日本人として世界に向かって

今後何をすべきかを改めて

問い直す日になった。

 

私は終戦から5年後

平和と復興の最中に生まれ

国民年金が来年入る前の歳である。

 

青年時代を思い出し

コーヒーを飲みながら

子供たちに 人類に

何を残そうか? 瞑想した。

 

広島の川は世界の海に流れていく

そのはだしのゲンの作者は歌う。

 

一個人で 世界にどれだけ残せるのか?

はだしのゲンの生き方は 世界に伝えられている

はだしのゲンの父母兄弟の生き方も同時に伝えられている

無名な一個人でも 世界に伝えられるものは

この自分の生き方だけである

 

自分の資産があろうとなかろうと

子供がいようと いまいと

次の人類に残せるのは

どう生きたか? であり

死に様 つまり生き様である

 

みな遺産を残すことに注目しているが

命の成果ばかりに心を奪われ過ぎている

成果をなす命そのものを忘れている

 

生まれてすぐに

病気や飢餓で死んでいく

子供たちの遺産のような成果などあろうか?

蝉のように7日だけ生きたこと

その生き方 生き様が

世界に残され 伝えられ

次の人類への知恵と愛のDNAであろう。

 

死人の姿も

生まれる前の姿も

善人悪人の差などない

流れいく世界の海のように

みな同じ命の源泉の姿 神仏である

だから 死んで戒名をつけるとしたら

みな同じ 命という名で いいではないか!

死とは 自分の名が消え

みんな同じ命という名が与えられることではないだろうか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

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生きるということ

失敗は挑戦することを諦めたときという

生きるということにも当てはまる

生きるということは挑戦すること

死ぬということは挑戦を諦めた時だろう

1日1日がまったく同じ日はありえない

常に新しい毎日が起きている

自分の身体が毎日新陳代謝するように

この世界 社会も 新陳代謝して

新しい世界と社会になっている

良かれ悪かれは 未来に解るものだ

こうした新陳代謝はいわば挑戦するともいえる

新しいことをするから 新しい結果が生まれる

どんな機械だって ずーと同じことはできない

故障するし 壊れ そして 新しい機械に変わる

仕事だってそうだろう

人は新しさに快感と意義を見いだす

挑戦することは新しさ活動ともいえうだろう

生きるということ

それは挑戦すること

挑戦すること

それは新しさ活動

日々

死んでは生き返る

そして新しく生きる

それが生きるということだろう

 

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生きるということ

生きる

これは意志がいるということ

意志は努力

自殺は犯罪だと思っていたが

単に 生きることに疲れたのではないか

本当に疲れたならば

死ぬ意志も努力も無くなってしまうのではないか

ぐっすりと 寝ればいいではないか

それができなくなった時

ずっと眠りたいという衝動が自殺ではないだろうか

殺人という犯罪も衝動だろう

事故も 衝動からも起きる

一度の命だけは衝動にまかせてはならないだろう

命は作物を時間と根気でじっくりと育てるものだ

 

生きるということ

それは

衝動ではなく

じっくりと夢を実現させていくことだろう

 

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毎月無利子8万円借金できるベイシックインカム

先日MIXIのコメントで

毎月のベイシックインカム 8万円支給という形をやめ

毎月8万円預金補償という形にしたらどうか と話した。

つまり

そのベイシックインカム預金は貯蓄できない

使わなければその分は没収される形である。

毎月使った分だけのお金が補給され

常に国民一人のベイシックインカム8万円は湖水のようにプールされ

増えることも減ることもなく 一定の量をキープするアイデアだ

それを現実的にしたアイデアを思いついた

 

国民の誰でも毎月8万円を無利子で国や公共団体から借りられるベイシックインカムである

 

今の貨幣は基本的に貸し借りで回っている。

返済が難しい場合でも

8万円で生活必需品を購入した場合 8%の消費税が付くのだから

毎年元金の8%は返済したことになり、12年で元金の96%返済したことになる。

 

もし生活が豊かになれば 累積したベイシックインカム借金はまとめて返済できることになる。

こういう毎月8万円は自分の命を担保にした無利子借金システムのよるベイシックインカムだったら

けっこう 速く法制化できるのではないだろうか!?

 

 

 

 

 

 

 

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