フリマ笹塚をボランティア基地に

今8月のフリマ笹塚の店舗が埋まったのは

半数以下の12日で

過去最低の記録である。

売り上げは11万7600円で 月の家賃と商店会費にもならない

 

4月からの消費税8%とその徴収が厳しくなった影響だろう

特に零細個人商店には極端に景気が悪くなった

アベノミクスの結果だ。

 

近くの昔ながらの同業者は廃業したが

当店は3年更新し その期間だけは頑張ってみようとしている。

だが

スタッフの給与はすべて持ち出しになり

その分を倉庫付き駐車場の収入から充填しなくてはならない

ビジネス経営的ではさっさとは廃業した方が痛みが少ない。

 

ただ昔から私のビジネスは金儲けではなく

ほとんどボランティアに近い。

初心がボランティアだから 終わりの結果もまたボランティアだ

やたら ビジネス経営的に考えるから思い悩み

廃業閉店なんか 模索することになる

常に フリマ笹塚はボランティアと割り切って行動した方が

すっきりとして 楽しくなる

まだ倉庫付き駐車場の収入で補填できるなら

それでボランティアが持続できるなら それでいいではないか

赤字であろうと 儲からなくてもいいではないか

ボランティアが継続できれば それでいいではないか

むしろ

経営よりも よりボランティアができるようにした方が楽しくなる

ボランティアさえもできなくなった時

それが廃業閉店にする時期だろう。

そのボランティアに社会的需要がなく

ボランティアする意味がないといえるからだ。

 

 

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「ありがとう」の言葉を「ありがとう通貨」に

モノの流通はカネであり それは国の法律で造られ 強制力を持つ

ココロの流通をもう一つのカネにしたら 各個人で造られることになり 自由を持つ。

モノは質と量そして需要と供給で 価格が決まるが

ココロもまたモノに似て 価値が図られるが

ココロは主観で出来ているので モノのような数字で判断ができないため

せいぜい大中小の三分割で

「ありがとうございます」

「どうもありがとう」

「ありがとう」

の三種のありがとう通貨があれば十分だろう。

 

流通を促進するためには ゲーム性 ドラマ 客観性 必要である

最近 チェーンメールのような寄付と氷水をかぶることとと指名で広がった福祉行為のように。

さらに 貨幣制度のように 持続性 永続性を持たせる必要もある。

 

昔ドラマで「同情するならカネをくれ!」という文句がはやったが

ありがとう通貨にもいえて

「ありがとうという言葉よりありがとう通貨(ありがとうのカネ)ををくれ!」

言葉は軽く 嘘も真実もあるが 行為には真実しかないため、言行一致がモラルになっている。

「ありがとうの言葉」より「ありがとうの行為」を示すことが大事になっている。

 

一時 「ありがとうの歌」がはやったが それがありがとうの行為に大きく貢献したかどうかは疑問である

「ありがとうの言葉」を「ありがとう通貨」にすれば「ありがとうの行為」は確実に広がるだろう。

 

行為は5W1Hで成り立つので、

それを記述文字にして「ありがとう通貨」に署名して 流通させたらどうだろう?

三種のありがとう通貨の裏面に7つの項目を入れる

1 流通番号 No

2 いつ When

3 どこで Where

4 だれが Who

5 なぜ Why

6 どのように How 

したか? Do

7  認める署名 Sine

こうした法令用紙のようなありがとう通貨フォーマットを市販しても 自分で作成してもいい

遺言書が本物であることを世間が認めるような書式を満たしておけばいい。

10人流通して さらに増えたら ホッチキスでありがとう通貨を付け足せばいいだろう。

もちろん付け足す人の割り印(サイン)をつなぎ目にいれればいいだろう。

 

貨幣の歴史が数千年あるが

このありがとう通貨を数千年持続することもでき

それはちょうど天皇の家系図のようなありがとう通貨ができることになる。

流通するありがとう通貨帳を マイクロチップやICレコードにしてしまえば

ソクラテスが使ったありがとう通貨を現代のありがとう通貨として使うこともできる

それはまたドラマであり、希少価値がでるゲーム性でもあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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心の貨幣と労働

10数年前、時間交換する「ありがとう通貨」なるものを考案した

だが それはまったく世間に受け入られないのに

また再提案する。

なぜ「ありがとう通貨」が世間に受け入れられないか?が理解できたためだ

それは労働の概念である

労働を単に生産活動としたら

どんな働き方をしても同じ価値をもたせるのは

無理であり 無謀でさえある

労働を狭義の意味で使い

他人の愛のために自分が費やした時間に限定するのだ。

通常 会社勤めをして月給を会社から20万もらった時 初めて労働が貨幣となるが

これは会社から自分に与えられた貨幣であり 会社のために働いた労働対価であるから

他人のために働いた時間対価である「ありがとう通貨」ではない。

会社は団体という法人であり、生身の個人ではなく集団であり 他人とは言えない

他人とは自分とは別の個人のことで 一対一の個人関係に使われる。

もし 階段を上るのに ある老人が難儀していた時 あなたが肩をかして助けた時

老人が「ありがとう」と感謝の意を「ありがとう通貨1時間」をあなたにあげたとしたら

それが 労働であり ありがとう通貨が流通することになる。

もらった ありがとう通貨1時間をあなたが 例えば

バスに乗ったが たまたま財布を忘れてしまい 支払に困っていた時

乗客の一人がバス賃を払ってくれた時

あなたがその感謝の意で老人からいただいた「ありがとう通貨1時間」をその人にあげると

ありがとう通貨は流通し 助けた乗客は労働をしたと言えるのである。

いわば

「ありがとうという言葉」を「ありがとう通貨」にした

ありがとうの輪を世界に広げる個人間の行為を狭義の労働とするのである。

 

農作業という生産活動をしたとしても

稲はあなたにお金を払ってくれない

生産した米を食べて 稲に感謝してお金をあげようとしても受け取ってもらえない。

ありがとう通貨はありがとうの言葉の流通手段だからである。

 

私は便利屋を三十数年やってきて

それで生活が成り立たないことを体験し

それに代わる時間交換するウエブサイトを立ち上げたが 世間には受け入れられない。

 

地域通貨は時間交換貨幣だが 何十年たっても流通できないでいる

その理由は せまい会員同士だけの流通だからではないだろう。

なんとかその地域通貨を流通させようとして

現金やモノと交換できるシステムにしたりするが流通できないでいる。

 

モノの流通発展する現貨幣と心の流通発展を願う地域通貨とは

交換できないし 交換してはならない 交換したら違法犯罪でさえある。

愛は金で買えない 心も金で買えない 買ったら犯罪だからである。

 

10数年前 ありがとうおじさんの教えに感銘し ありがとう広場を立ち上げた

「ありがとうございます」という言霊は奇跡を生み出すと信じた集団がありがとう村である。

「ありがとうございます」の文字を「ありがとうシール」にしたため

特にありがとうございます信者が公衆トイレに張ったのが気味悪がれ 悪評をかい衰退した。

だが

ありがとうの言葉の代わりにありがとう通貨にした表現世界にしたら

宗教ではなく 日常あふれる世界の心の流通行為になるだろう。

 

 

 

 

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世界の心の貨幣を造ろう

やる気を出すための一番かんたんな方法として
お前ならできる!」あるいは、「あなたならできる!」
気持ちを奮い立たせたい時は、自分に対してそう声をかけよう。
そのほうが、「はできる!」よりも効果があるのだという
この研究成果はいろいろ発展させることができる。

人間は身体と心の両方を持っている
その両方の性質が違っているので 
あたかも自分が二人いるように観じる。

自分を変えようとする時
一番悩ましいのは
「わかっちゃいるけど やめられねえ」
ダイエットなんか いい例である。

そこで 私は
自分の身体に 権兵衛の名を付け
自分の心に ありがたや の姓を付けて  会話するようにした。

そうすれば バランスのいい身体と心の健康をきっと調整しやすくできるだろう。

これは世界における貨幣システムでもいえるのではないだろうか!

世界は人間社会だから 個人の身体と心のように
分けて コミュニケートできるようにした方がバランスがとれるのではないか!?

今の貨幣は物々交換から発展したもので
モノの流通には適しているが
心の流通には適していない。

心の流通発展させる貨幣を創設して
二種の貨幣でバランス世界は実現しやすくなる。

世界のモノは衣食住であり
世界のココロは労働やサービスにあたいするだろう。

世界は自由と平等と博愛というココロが基本であるから
その流通貨幣は モノの支配と差別と奪い合いには適していない。

時給が100円の人もいれば 1万円の人もいる
人間の平等心からすれば 単純におかしい
労働はモノの流通ではなく ココロの流通であるから
心の新貨幣にはどんな人でも国籍性別年齢関係なく同じ時給になるだろう。

そして
労働は労働でしか 交換できない
モノはモノでしか 交換できない

そうした世界のモノと心の流通貨幣を造った方が
バランスがいい健全な社会が実現しやすいだろう!?

 




 






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今の自分は常に新しい自分

終戦記念日があったせいか

最近 戦争という過ちを二度と繰り返さないようなドラマが放映されている

もし 原爆を落とされる前にポツタム宣言の無条件降伏を受諾していたら

数十万人の国民の命は助かったかもしれない

もし ハワイの真珠湾に先制攻撃をして太平洋戦争を起こさなかったら

数百万人の国民の命は犠牲にはならなかったかもしれない

 

もしも? もし? もし?

 

もし 13歳の自分が 教科書にのったジャンクリフトフの叔父に出会わなかったなら

「なぜ勉強するのか?」「なぜ生きるのか?」と 思い悩み 学業を放棄しなかったかもしれない

 

政府も 自分も 常に大きな選択をして 今日の日本と自分を築いている。

 

今ここではっきりしていることは

もしも自分たちが選択した道を歩まなかったなら

今の平和な日本 今の健康な自分はないかもしれない

ということだ。

また

もしも自分たちが選択した道が誤りであったと反省したならば

今の不幸な状況の日本と自分を改善できる道が開かれるかもしれない

ということである。

 

過去の選択を変えることはできないが

今の状況を改善するための反省点にすることはでき

未来を選択して変えることができる。

 

もしも? という過去を 未来の選択に生かそうではないか!

そして

今の自分も日本も 過去の選択を肯定しなかったら ありえない

ということである

過去にどんな選択をしても それが今の自分と日本を築いている

もしも他の選択をしたならば今の自分はなく 別な自分がいる

今の自分は常に新しい未来を選択してきた新しい自分である

今の日本も やはり常に新しい日本なのである。

 

過去を肯定しなければ今はなく

過去を否定しなければ明日は変えられない!

 

 

 

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